『解説』
島田荘司

 こんなことを考える時がある。アフリカという大陸は、実に日本文学的な場所だと思う。日本人好みの「文学」が、ここにはごく日常的なレベルで道端に転がっている。
 極限的に貧しいが故に、生まれ落ちた際、両親に手や足を切断された子供たち、親族に目を潰された者、こういう人々が、パリ~ダカールラリーでダカール空港に飛来する白人を玄関で待ち受ける。身障者の方が哀れみをひき、物乞いがしやすいからだという。五体満足で飢えて死ぬよりはいい、という親の配慮である。
 アフリカの民の大多数には、確たる職業がない。だから彼らの職業はいきおい物乞いと、一部は泥棒という結果にならざるを得ない。年に1度、ラリーの大軍団を組んでアフリカの内陸部深くに分け入ってきた肌の白い者たちに、「カドゥ(贈り物)、カドゥ」と叫びながら群がり、われがちに手を差し出す。誰かがフィルムの空き缶を道に放り投げても、たちまち子供たちの間で奪い合いが起こる。
 アフリカ内部の民は大半がおとなしく、強盗を働いたりはしないが、貴重品を置いてこちらが注意を怠ると、しっかり盗んでいく。
 フランス人のリゾート都市ダカールは、最近とみに治安がひどくなり、凶悪な強盗事件も発生しはじめている。先日友人のカメラマンに聞いたところでは、彼の友人のカメラマンが90年のパリ~ダカールラリーの取材に行き、ダカールの裏道で強盗に遭い、貴重品を奪い盗られた挙げ句、重傷を負わされて、海岸の砂の中に埋められたという。幸い通りかかった人に救助されて一命をとりとめたようだが、もうそこまで治安が劣化したかと背筋が冷える思いがした。
 アフリカは貧しい。これらはすべて貧困が生む悲劇だ。そんな場所へ西欧人が踏み込む。豊かさをこれ見よがしにちらつかせる。ラリーコースを設定し、ずかずかと庭先へ入り込む。
 貧しく幼い多くのアフリカの民にとって、これは2千年の未来からの訪問者にも似て、未知との遭遇である。子供たちは競って「カドゥ」を求めて手を差し出し、自国の貧しさを先進国に知られまいと、警官は自国民を棒切れで追い払う。近親憎悪で激しく打ちすえる。そんな警官に向けた怒りの投石が群集から始まる。警官はついに発砲する。すべてが、「貧しさ」の風景だ。岡嶋二人のこの「熱い砂―パリ~ダカール11000キロ」に、そういった光景が、ひとつひとつ丹念にとらえられている。
 アフリカには、日本文学をかつて輝かせていた貧しさと、それ故の闘争、悲劇が、ごくありふれた要素としていたるところにむき出しになり、来訪者の目に晒されている。どんな鈍感な者でも、ここを旅すれば文学的感慨を抱かずにはいられない。だから僕は、このラリーを日本の文学者が次々に取材したらどんなであろうと想像する。いずれにせよこの本により読者は、ひとつには日本人がすでに失ってしまった「日本文学的旅」を、遠いアフリカの地で行なうことができるだろう。
 パリ~ダカールラリーは、90年の今年、第12回を数えているが、これはいわばフランス人の驕りによって始まった――、そういう見方もおそらくできるに違いない。かつてのフランス領の(したがってフランス語が話されている)都市を転々と結び、アフリカ一美しい、フランス人のリゾートの海辺まで自動車の旅をする、どうせ車で旅をするなら、ひとつ競走にしないか――、著者も本文中でそう把握しているが、まさしくそんなふうにしてこのラリーは始まった。そしてこの旅は、フランス人のリゾートを、世界各地に宣伝しようという意図も、実は含まれていた。
 ラリーとは本来「人の集い」という意味で、その精神は「レース」とは幾分ニュアンスが違うのだが、パリから大西洋岸のダカールまでの距離は1万キロ以上、地球を4分の1周以上もする。日数も20日以上だから、参加者は疲労困憊し、後半は戦争のようなありさまになる。レースよりずっと過酷だ。
 主催者の思惑は図に当たり、このラリーは世界一過酷なラリーとして今やすっかり定着、有名になった。有名人やブランド物に目がない日本人も、毎年大挙して押しかけるのが恒例となった。つまり「パリダカ」は、ラリーのブランド品と化したのである。
 ラリーの仕組みを少しばかり説明すると、競技車の走行は、リエゾン区間と、SS(セレタティブ・セクタ)区間とに分かれている。リエゾンとは、いわばSSたる競技場へ向かう、単なる移動である。
 パリをスタートした一団が、リエゾンで人里離れたアフリカ内陸部に達すると、1日1度の割で、レースを行なう。午前中スタートし、午後ゴールする。このレースがSSである。ゴールしたら車を整備し、食事をして眠り、また翌朝、次のSS地点までリエゾンで行く。そして翌日のSSをスタートする。こんなふうにして、アフリカ大陸をダカールまで集団で旅していく。本書は、1989年、第11回目のそういう「パリ~ダカールラリー」の記録である。
 ところでアフリカのリーダーを自任するフランス人の身勝手ぶりは、やはり有色人種の日本人取材者には、随所に感じられたようだ。他人の国でこんなラリーを行なうこと自体そうかもしれないが、アガデスでは、住民の貴重な水瓶を平然とカラにしてしまう。
 著者たちを乗せてダカールをめざすフランス人運転のプレスカーは、同乗の日本人たちが取材に来ていることにおかまいなく自分たちのレースを始めてしまい、おかげで岡嶋二人は競走車の走りや、各SSのゴール風景を大して観ることができず、本書はラリーの本というより、岡嶋二人のアフリカ旅日記という格好になってしまった。
 しかしこれは、岡嶋二人ファンにとっては、悪い結果ではなかったに違いない。岡嶋二人の視線が、思う存分アフリカや、そんなフランス人のありように向けられたからだ。肌の白い支配者たちのいくぶん驕る姿も、本書のハイライトのひとつである。
 本書では、推理作家岡嶋二人の、いつもとまったく違った一面を見ることができる。ユーモアもたっぷりある。彼らのファンにとっては、これはなかなかに胸躍る要素であろう。
 今この世界一有名なラリーを、どういう皮肉か有色人たる日本人の大企業、パイオニアが支えている。岡嶋二人が取材した本書の前半、1988年以降、このラリーはずっと「パイオニア・パリ~ダカールラリー」と呼ばれている。これは少なくとも91年まで続く。世界中の大きなイベントのかなりの部分が、もう日本企業なしには運営が考えられなくなってきているのである。

 僕がこのラリーに参加したのは1987年だった。今やすっかり有名になった篠塚建次郎のチームの監督をしていた夏木陽介と一緒に、監督車で1万4千キロをひた走った。
 この旅のことは「砂の海の航海」(新潮文庫)という一冊に詳しく書いたので繰り返さないが、この年篠塚選手が3位に入賞し、一躍「パリダカ」が日本人の注目を浴びるようになった。
 苦しい旅だったがこの時の印象は深く、素晴らしく、特に砂漠が良かった。
 うねる波を一瞬凍りつかせた海のような形状で広がる砂漠に、寝袋ひとつで横たわり、上空の恐ろしいほどの星空と向かい合いながら、カセットステレオで音楽を聴き、1人眠った夜のことは今も忘れられない。音楽が、夜空からシャワーのように降り注いできた。
 東京に戻り、僕はすぐに岡嶋二人の1人、井上夢人氏に電話した。そして砂漠で聴いた音楽のことを話した。
 彼も僕も、かつてビートルズに熱中した一時期があるが、このグループの「ホワイトアルバム」が、砂漠では全然別の音楽に聴こえた。複数の楽器の奥に埋もれているアコースティックギターの音が、陽光を受けてきらめくテネレ砂漠の砂粒のように、きらきらと輝きながら飛び出してきた。
 そして岡嶋二人も、その翌々年このラリーに行くことになった。彼らは僕も未経験の、砂漠を飛行機から見降ろすということをやっている。本書のその描写も美しい。砂漠という不思議な場所は、どんなやり方で体験しても、人に感銘を遺すものらしい。読者も、本書で是非砂漠体験をしていただきたいと思う。

 砂の海とアフリカのとりこになった僕は、1990年11月の今、再びパリ~ダカールラリーに行くことを決め、準備をしているところだ。
 今回は参加でなく取材だから、本書と同じように、飛行機から砂漠を観ることもできるだろう、とても楽しみだ。
 個人的なことを言えば、本書は僕の2度目のアフリカへの旅の、よき案内書にもなった。