『解説』
法月綸太郎

「ファイナルだ。段取りは頭に入ってるな」
「染み込んじまってますよ。消しゴムぐらいじゃ消せないね」
 相馬が楽しそうに言い、菱刈はうなずいた。
「かかれ」                         (43章)

 『眠れぬ夜の報復』は、『眠れぬ夜の殺人』につづく「捜査0課」シリーズの第2弾である。ただし「捜査0課」の不可能事件簿は、岡嶋二人の合作コンビ解消(1989年10月)とともに、本書が文字通りファイナルとなってしまったので、むしろ2部作と呼んだ方がふさわしいかもしれない。2冊とも話はそれぞれ独立していて、本書は単体でも楽しめる作品だが、レギュラー・トリオの掛け合いの呼吸とか、導入部の微妙な書きっぷりのちがいを味わうには、やはり『眠れぬ夜の殺人』から順番に読んでいくに越したことはない。
 岡嶋二人がめったにシリーズ物を書かない作家だったのは有名な話で、「捜査0課」のメンバー以外に複数の作品に登場するキャラクターは、織田貞夫と土佐美郷という回文名を持つ「山本山コンビ」(『三度目ならばABC』『とってもカルディア』)と、なんでも屋の釘丸大蔵(『なんでも屋大蔵でございます』)しか見当たらない。だが「山本山コンビ」にしろ、なんでも屋大蔵にしろ、基本的に活躍の舞台は短編が主で、れっきとした長編オリジナルのシリーズは、この『眠れぬ夜』2部作がすべてである。
 マンネリを嫌い、次から次へと新機軸に挑戦しつづけた岡嶋二人があえてシリーズ化も辞さなかったのは、「捜査0課」という設定とシチュエーションに、アクロバティックなストーリー展開をもたらす可能性を見いだしていた証といってもいいだろう。実際、『眠れぬ夜』2部作は、この作家ならではの機略横溢・用意周到なテクニシャンぶりをフル発動したような作品で、どれを取っても一筋縄ではいかない岡嶋作品の中でも、とびきり手の込んだ異色の仕上がりになっている。そのせいかすれっからしの読者の間では、岡嶋二人の裏ベストとして密かに偏愛されているようだし、思わず羨望のため息を洩らしながら、シリーズがたった2作で打ち止めになってしまったのを惜しむ同業の作家も少なくない。
 後に合作コンビの片割れである井上夢人氏が明かしたところによれば、「捜査0課」は、井上氏が提案した「スパイ大作戦風の勧善懲悪集団のアイデア」から生まれたものだという。前作を読んでいない読者のために、ほんのさわりだけ紹介しておくと――「捜査0課」とは、警視庁刑事部に属する12番目のマル秘組織で、通常の捜査方法では解決不能の難事件が発生した時、刑事部長の一存によってどこからともなく召集される隠密部隊の通称である。構成メンバーは、頭脳的指揮官の菱刈長三を中心に、彼の手足となって働く向井聡美(色仕掛けも含めた渉外担当、通称サミー)&相馬廉平(荒っぽい力仕事と後方支援を担当、通称ソーレン)の計3人。いずれも経歴不詳、正体不明のクセ者ぞろいだが、仕事の腕が超プロ級であることはいうまでもない。
 この隠密トリオが、雲をつかむような「事件ならざる事件」の真相を、奇想天外な捜査方法によって徐々にあぶり出していくプロセスが、ストーリーの骨子。解かれるべき謎そのものを前面に出さず、謎の本体からはね返ってくる奇妙なエコーを小出しにするような独特の語り口が、「風が吹いたら桶屋がもうかる」的なロジックの芋づる式飛躍とあいまって、まったく先の読めない三つ巴、四つ巴のプロットをスリル満点に盛り上げていく――これから本文を読もうとしている読者に、『眠れぬ夜』2部作の面白さの性質を伝えようとしても、浅学非才な解説子の筆では、こういう持って回った舌足らずの表現しかできなくて申し訳ないのだが。

 まあ、それはさておき、ここでちょっと脱線して、「捜査0課」というトリオ探偵の人物配置が、シリーズ・キャラクターの採用と並んで、岡嶋作品の中では異例の部類に属するという点について触れてみたい。というのも、しばしば指摘されているように、岡嶋二人の小説では、コンビ探偵、とりわけ若い男女のペアが事件の解明に当たるケースが圧倒的に多いからである。
 これはやはり、コンビによる合作の反映と見るのが順当な線だろうが、作品ごとにもっと仔細に見ていくと、主人公のペアに後見人的な年長者が加わって、一種トリオ探偵に近い人物配置が選ばれている作品も少なくない。ところが、そうした作品でも、トリオ探偵の三位一体的な結束がストーリーの最初から最後まで首尾一貫、揺るぎなく維持されているケースは稀なのだ。
 岡嶋作品では、トリオ探偵の一角が途中で脱落してしまうのが通例である。たとえば、プロ野球の舞台裏で繰り広げられる熾烈な情報戦をテーマにした長編『ビッグゲーム』では、球団の「資料課」に勤務する秋月課長と佐伯智則、松橋涼子のトリオが目に見えないスパイを摘発しようと奮闘する。一種のハイテク情報組織である「資料課」トリオの設定には、「捜査0課」のプロトタイプ的な雰囲気がなくもないのだが、トリオの要である秋月課長は、物語が山場に差しかかる前に、「正体不明の敵」に仕掛けられた事故で負傷し、あっけなく戦線離脱してしまう。チーフ不在のまま、スパイの正体を暴き出すのは、佐伯&涼子のコンビにほかならない。あるいは、具体的な作品名は挙げられないが、トリオ探偵として行動していたつもりの3人の中の1人が、実は事件を背後で操っていた黒幕だった、とわかる例も複数ある。要するにこの種のトリオ探偵の配置は、見かけだけの疑似的なものにすぎない。実質的な探偵役は、最初からコンビとして設定されているからだ。
 「捜査0課」の隠密トリオが、岡嶋作品の中では異例の部類に属するというのは、こうした傾向を踏まえてのことである。もちろん、作中の役割分担というレベルでは、聡美&相馬の息の合った連係プレーがストーリーの前面に出てくる。しかし2人の行動は、常にチームの頭脳である菱刈長三のコントロール下に置かれ、トリオ探偵としての足並みが乱れることはないし、乏しい手がかりから錯綜した事件の構図をいち早く看破するのも、菱刈の専売特許なのだ。それがトリオ探偵の定石であり、非常にオーソドックスな配置だと指摘するのはたやすいが、ここまで述べてきたように、岡嶋作品の中ではこうしたオーソドックスな配置そのものが、逆に異例のケースとして目を引く。
 なぜこのような異例のケースが生じてしまったのか? その答を探るヒントとなるのは、ひとつ前のパラグラフで言及した例。「事件を背後で操る黒幕」がトリオ探偵の一角を占めているケース、というのがそれだ。
 結論から先に言うと、「捜査0課」を率いる菱刈長三という人物は、「事件ならざる事件」の謎を解くトリオ探偵の要でありながら、岡嶋作品の中では通例「犯人」のポジションに坐るべき黒幕的キャラクターの属性を与えられている。「犯人」という表現が舌足らずなら、物語の主人公サイドに一方的な攻撃を仕掛けてくる「正体不明の敵」と言い換えてもいいだろう。目に見えないスパイの動きに翻弄されつづけ、防戦一方で一矢も報いられないまま、あっけなく退場してしまう『ビッグゲーム』の秋月課長と比較すれば、菱刈長三がその対極に位置する「ゲームの達人」であることがわかるはずだ。
 主人公サイドが圧倒的な劣勢に置かれ、「守りのゲーム」を強いられるのは、『ビッグゲーム』に限らない。岡嶋二人の小説をゲームになぞらえると、「捜査0課」を除く長編の主人公たちは、ほとんどの場合、最初から否応なしにディフェンス側に立たされている。そして、岡嶋作品の攻撃-防御のバランスがいつも後者に偏っているのは、サスペンスを重視した小説作法上、ゲームの主導権を握る敵の顔が、主人公サイドはもちろん、読者の目からも隠されているからだ。
 岡嶋二人が誘拐、およびそれに準ずる脅迫テーマを好んで作品化したのは、それらがスリリングな「守りのゲーム」を描くのに最もふさわしい状況だったせいもあるのではないか? 実際、誘拐・脅迫テーマを扱った作品の中に、誘拐する側、脅迫する側の視点が現われることは珍しく、ストーリーテリングの比重は人質を取られた側、脅迫される側(とその周辺)の描写にかかっている。主人公サイドは、姿を見せない犯人からの度重なる攻撃と監視にさらされながら、ひたすらガードを固めて、起死回生の反撃に転じるチャンスを待ちつづけるほかない。したがって、「守りのゲーム」をサスペンスの基調とする岡嶋作品の中では、シナリオを書き一方的に罠を仕掛けてくる黒幕(=オフェンス側)の手の内が事前に明かされることはほとんどない。
 ところが、である。
 菱刈長三率いる「捜査0課」という集団は、岡嶋作品の主人公サイドとしては例外的に、シナリオを書き一方的に罠を仕掛けていく攻撃重視型のチームだ。いうまでもなく岡嶋作品の通例では、彼らのようなチームはいつも盤面の向こう側に姿を隠して、読者にも決して手の内を見せてこなかった存在である。主人公サイドの役割反転から、自然、ストーリーテリングの重点も「守りのゲーム」から「攻めのゲーム」へと移行することになる。言い換えれば、『眠れぬ夜』2部作の玄人受けする面白さは、岡嶋二人が開発した語りのテクニックのあの手この手を、攻守のサイドを入れ替えて、まったく正反対の方向から再解釈してみせたリバーサル・サスペンスのはなれわざに由来する。
 それだけではない。このはなれわざをより効果的に演出するために、岡嶋二人は「正体不明の敵」が仕掛けるゲームを2段構えに設定しながら、他方で謎解きの要素を色濃く作中に導入する。「犯人」サイドの隠された意図を暴くことと、「捜査0課」が仕掛ける「攻めのゲーム」の型破りのテクニック。この2重の位相が互いにシンクロして、絶妙のサスペンスを生み出していくわけだが――ここまで書いてきて、ふと思いついたことがある。
 『眠れぬ夜』二部作の計算しつくされたプロットのひねり方は、岡嶋二人の代表作『あした天気にしておくれ』で狂言誘拐を仕組む主人公サイドと、後からその計画に便乗しようとする「正体不明の脅迫者」サイドの攻守の関係をネガポジ反転した裏バージョンにほかならないのではなかろうか? これは単なる思いつきにすぎないのだが、もしそうだとすれば、この「捜査0課」シリーズこそ、岡嶋作品の裏ベストとして挙げるにふさわしい作品であることのまぎれもない証左になるはずである。

 ところで、最後にもうひとつだけ、本書について書き添えておきたいことがある。ほかでもない、この『眠れる夜の報復』という小説は、岡嶋二人が合作者として取り組んだ事実上のファイナル作品だということだ。公式の著作リストでは、本書と同じ89年10月に刊行された『クラインの壺』が岡嶋二人名義の最終作となっているのだが、読者もよくご存じのように、『クラインの壺』は合作コンビの解消を決意した井上夢人氏が、単独で書き上げた作品である。内容的にも井上夢人のソロ・デビュー作と呼んだ方がふさわしい仕上がりになっていることに、だれしも異論はないだろう。
 岡嶋二人解散に至る経緯は、後に井上氏が発表した自伝的回想録『おかしな二人――岡嶋二人盛衰記』の記述に詳しいので、ここでは繰り返さない。ただ、本書の執筆に取りかかった時点で、井上氏が合作コンビの解消を避けられないものと考えていたのは、まちがいないようだ。これが「岡嶋二人」としての最後の仕事になるかもしれない、そうした予感というより、確信に近い心情をうかがわせる記述が、この長編の中では随所に見いだせるのである。
 たとえば、冒頭の1節。「木槻陽介の穴埋めとして大阪にあるボウリング場『堺ハイレーン』へ行ったことが、草柳史生の人生を十六年前へ戻すことになった。それは彼にとって、十六年待ち続けた暗い終結の始まりだった」。
 なんと暗示的な文章ではないか。
 というのも、『おかしな二人』によれば、井上氏が後に合作コンビの相棒となる徳山諄一氏と知り合い、急速に親しくなっていったのは、1972年から翌年にかけてのことであるという。本書が書かれた89年の時点から逆算すると、2人の出会いはほぼ16年前にさかのぼることになる。執筆を担当した井上氏が、この数字の持つ重みを意識しなかったとは思えない。
 一方、プロボウラー草柳史生とちぐはぐな同棲生活を営むことになるOL矢口隆代は、日々の生活に倦み疲れて、「仕事――やめようかな」とつぶやき、キーボードを叩きながら、「やっぱり、不公平よ」と思う。草柳と隆代の間ですれちがう感情の起伏は、合作者どうしのアンバランスな関係が、作中人物の心理に投影されているのではないか? さらに、中盤以降の目まぐるしい展開からは、それまでの作品に登場したあの手この手のテクニックをもう1度かき集め、大急ぎで使い果たしてしまおうと涙ぐましい努力をしているさまが透かし見えてくる。まるで岡嶋二人が本人の声色を使って、岡嶋二人らしい最後のステージをせいいっぱい陽気に盛り上げようとしているかのように。そのせいか、『眠れる夜の殺人』に比べて、プロットの緊密さが失われていることは否めないのだが。そういう意味では、ビートルズのラスト・フィルム『レット・イット・ビー』の後半、アップル社のビルの屋上で、正真正銘、これが最後のライブ演奏を行なう4人の姿をとらえた、あのかけがえのない音と映像につきまとう何ともいえない空気が、本書のたたずまいにいちばん近いかもしれない。
 このような深読みをするのは、作者に対して失礼なことだろう。とりわけ岡嶋二人のような稀有のエンターテインメント作家に対しては、失礼を通り越して侮辱に当たる行為というべきかもしれない。しかし本書が、岡嶋二人最後の合作長編だということをここで強調するのは、決して無益なことではないはずである。なぜなら私は、この解説の冒頭に引用した短いやりとりが、岡嶋二人から読者への「最後の挨拶」であることを信じて疑わないでいるのだから。

(ミステリー作家)