『解説』
新保博久

 J子さんが離婚(わか)れたって? いや初耳だけど、同期生を呼びつけてからに、話ってそれだけなの?
 彼女がフリーなら、僕が高校時代ふられたリベンジをするとでも。しかし僕がこのトシなんだから、J子さんだって粗還暦(アラカン)でしよ。ちょっとねぇ……え、まだ美人で四十代といっても通る? じゃ……って今さら、どのツラ提(さ)げて連絡するのさ。
 何、彼女のほうから僕に連絡が取りたいと言ってる? 娘が総合人間学部にかよっていて卒論のテーマが「コンビの研究」って、それが何か? マルクス-エンゲルスから藤子不二雄、とんねるずまで、さまざまなコンビを取り上げるってのに知恵を貸してくれってねえ。いま娘が大学生とは、ずいぶん晩(おそ)く作ったもんだ──そんなこたぁどうでもいいか。どうせ僕の商売が商売だから、エラリー・クイーンあたり……え? じゃなくて、岡嶋二人についてレクチャーしてほしいんだって。
 そりゃま、岡嶋二人の文庫解説は何冊か書いているけどさ。それにしたって、いまどきの大学生で岡嶋二人なんて、よく知ってるなあ。ミステリ界の、ひとも羨(うらや)む名コンビといわれた岡嶋二人が解散したのは1989年、J子さんの娘さんって、生れたのがそのころじゃない? まあ、マルクス-エンゲルスはもっと古いか。たぶん『この文庫がすごい!』効果だな。『このミステリーがすごい!』の姉妹冊子として、年刊で出たり出なかったり、最近も休刊中だけど、しばらくぶりに出た2005年版は特に注目された。2004年に岡嶋二人の『99%の誘拐』が講談社文庫で再文庫化されていたから、これがミステリー&エンターテインメント部門の一位に輝いた結果、現役時代の岡嶋二人を知らない若い読者にも”発見”されたってわけだ。いま大学生ぐらいの読者が熱烈なファンになったって、ちっとも不思議じゃないか。
 というのは岡嶋二人の長篇21冊と短篇集5冊は総じてレベルが高い。長篇では特に初期の『焦茶色のパステル』『あした天気にしておくれ』『チョコレートゲーム』、後期では『そして扉が閉ざされた』『99%の誘拐』『クラインの壺』がそれぞれベスト3だろうけど、そういう信頼のブランドだから、『99%の誘拐』を読んだ人はたいてい次々岡嶋本に手を伸ばしたくなったはずだ。
『クラインの壺』も再文庫化されて、岡嶋作品を読みたければ講談社文庫の棚だけを探せば済むようになった。岡嶋二人のひとり井上夢人さんは単独で小説を書き続けているけれど、岡嶋二人の新作が出ることはもうない。だから、全作品を制覇したいという熱心な読者が出てきても無理ないところだ。
 それに応えるように、単行本末収録だった短篇も増補されるようになってきているね。山本山シリーズ、上から読んでも下から読んでも同じという回文名をもつ織田貞夫と土佐美郷のコンビが活躍する短篇で、一つだけ宙に浮いていた「はい、チーズ!」が連作集『三度目ならばABC』に付け加えられて新装再刊されている。さきゆき山本山第2集をまとめるつもりで1本書いたのに、その1984年をほぼ最後に長篇に専念することに急遽(きゅうきょ)なったので、行き場がなくなっていたものだ。短篇をやめたのは、井上夢人さんが『おかしな二人──岡嶋二人盛衰記』で書いている通り、作者同士の打ち合せに時間のかかる合作が、短篇では効率が悪すぎるからだね。
 本当はシリーズをいくつか抱えていたほうが、主人公や設定を一作ごとに考えなくて済むだけ省力化できるはずなんだけど、岡嶋二人の場合、シリーズは非常に少ない。山本山コンビがほかに長篇『とってもカルディア』があって計2冊、警視庁0課シリーズが『眠れぬ夜の殺人』『眠れぬ夜の報復』と2長篇あるほかは、全部主人公が違う。あ、なんでも屋大蔵が探偵役の作品は五篇あるけど、それで1冊だしね。
 これは、似たようなものばかり量産したくないという作者の姿勢のあらわれだと思う。最後の長篇『クラインの壺』を出したとき、こんなふうに述べていたものだ。
「『まだやっていないこと』というのが、僕たちが小説を書くときにいつも持っていた気持ちでした。他の人がすでにやり終えたものであっても、それが自分にとって『まだやっていないこと』なら、僕たちはそれに飛びつきました。この『クラインの壺』も、その一つでした」(『波』1989年10月号)
 これは岡嶋二人の、というより井上夢人の意見だろう。井上さんの新作『魔法使いの弟子たち』についてのインタビューでも、「たぶん、僕、自分がまだ書いたことないものを書こうと思ったときに、一番モチベーションが上がるタイプの人間なんです」(『IN★POCKET』2010年6月号)と言っているし、『おかしな二人』でも似たような想いが披瀝(ひれき)されていたはずだ。
 その『おかしな二人』を読んでいると、1984年4月5日の日記が引用されていて、「月刊カドカワ・佐藤氏。『伸子』の第3弾を、ということだが、とにかく今は差し込む余地がまるでない」と、唐突に出てくる「伸子」とは誰だろうと不思議がる読者がいるかも知れないが、実は、入江伸子という文芸誌編集者を主人公にしたシリーズもあったんだよね。結局その第3弾は書かれなかった。そういう中途半端に終った連作だから、今までどの本にも収録されなかっだけれど、これからは手軽に読める。
 というのは、ジャーン! ここに、本当に最後の岡嶋二人短篇集『ダブル・プロット』のゲラがあるけど、これに入ることになったから。また僕が解説を書くので、再読するのに持ち歩いてるんだ。偶然が過ぎる? そういえば、さっきから僕は日記の日付まで正確に諳(そら)んじたりしてるけど、まるで君に呼び出されて会ってるんじやなくて、自宅でパソコンに向ってでもいるみたいだね。
 岡嶋短篇集は『三度目ならばABC』と『なんでも屋大蔵でございます』とがそれぞれ主人公を統一した連作集、『ちょっと探偵してみませんか』が犯人当てパズル形式のショートショート集で、純然たる単発短篇だけを集めたのは『開けっぱなしの密室』と『記録された殺人』の二冊しかない。この『ダブル・プロット』は『記録された殺人』に、以前は省かれた伸子シリーズ2篇と表題作を増補して、岡嶋作品を全部読みたいというニーズに応えたものといえる。『記録された殺人』を持っている読者には気の毒だけどさ、まさか3短篇で1冊作るわけにはいかないだろう。
 さて、これで岡嶋二人小説全集は講談社文庫版で完結……といっていいかどうか、ちょっと微妙。というのは、『増補版 三度目ならばABC』7篇、『なんでも屋大蔵でございます』5篇、『ちょっと探偵してみませんか』25篇、『開けっぱなしの密室』6篇、『ダブル・プロット』9篇で合計すると、ええと……たくさん……52篇? そうだろう。ところが『おかしな二人』には、「21の長篇小説と53の短篇、そしてゲームブックとノンフィクションを1つずつ書いた」とある。あと1短篇はどうなってしまったんだろう。
 いくら調べても分らなかったので、岡嶋二人を構成していた井上さんと徳山さんに問合せたところ、共同通信社の1984年1月上旬の配信で地方紙にショートショート「地中より愛をこめて」というのが掲載されたそうだ。これはある意味、最大の異色作で、どの短篇集に入れても場違いなので、『IN★POCKET』2011年2月号にだけ再録されることになっている。あとから知った読者は、そのバックナンバーを探すのにまた苦労するだろうな。
 苦労するといえば、今度の表題作「ダブル・プロット」は、『小説現代』の1983年7月号で同じ新聞記事を素材に5作家に競作させた課題小説の1篇で、ほかの4人が書いた、佐野洋「武士の情」は短篇集『緊急役員会』(1986年、集英社文庫)、石沢英太郎「レズビアン殺人行」は『狙われた部屋』(89年、天山文庫)、海渡英祐「喰いちがった結末」は同題短篇集(88年、光文社文庫)、都筑道夫「小説を書くシルビア」は『泡姫シルビアの華麗な推理』(86年、新潮文庫)と各作家の作品集に収められてるけれども、都筑さんの以外は文庫オリジナルだったし、読み比べるのに全部集めるのは大変だよ。図書館で掲載誌を見たほうが早いんじゃないかな。
 卒論のためにそこまではしないって、そりゃそうだ。じゃ少し実のある話をすると、『ダブル・プロット』は収録作品のほとんど全部、若い人が読むと、風俗的にあれれって思うだろうな。冒頭の「記録された殺人」では監視カメラにフィルムが使われているし、次の「こっちむいてエンジェル」はファクシミリが普及していたら冒頭の展開がもっと違っていただろう。「OAブームだとかで、オフイスには、やれファクシミリだ、コンピューターだ、ワープロだと、最新鋭の機械が次々に現われる」時代だったけれども、携帯電話はまだどれにも登場していない。「バッド・チューニング」はCD以前のレコードの時代だし、「遅れてきた年賀状」でも、作中で使われているような悪用を出来なくさせるため現在はチェックがきびしくなっている。
 いっぽう文章や会話は、四半世紀以上前に書かれたものなのに、きのうきょう発表されたかのように古びていない。それで昔の作品だなという感じがしないだけに、風俗の変化にときどき違和感を覚えてしまうんだな。だけど全体の印象が古臭くなっていないのは、岡嶋二人の長篇のほうにもいえることで、だからいま現役で読まれていておかしくないんだ。
 会話がいま読んでも生き生きしているのは、岡嶋作品のアンカーを受け持っていた井上さんがはじめ映画製作を志し、シナリオの勉強をしていたせいが大きいかも知れない。ソロになってからも『もつれっぱなし』なんて、全篇会話だけの短篇集も出しているくらい。これも『おかしな二人』によれば、どういう短篇が書きたいと徳山さんに聞かれて、たとえばローレンス・サンダースの長篇『盗聴』のように、「小説全部が、資料みたいになっているの。FBIとか、警察とか、保険会社とかに保管されている資料。盗聴テープから起こした記録ファイルだけでできてるような小説」と答えたという。実際、初めて書いた短篇「罠の中の七面鳥」や、この「記録された殺人」はそういうスタイルだし、井上さんがソロになって最初の「書かれなかった手紙」は書簡だけで構成されていた。それら3篇が、日本推理作家協会が年間のベスト短篇を選ぶ推理小説年鑑『推理小説代表作選集』の、それぞれ1983年、85年、91年版に選ばれているのは、決して偶然ではないよ。短篇では、そういう手法を採ったとき、いちばん美点が発揮されるようなんだ。
 え? 評論家みたいなことばかり言うなって。評論家みたいなことってねぇ。いちばん知りたいコンビのありようがどうだったかは、J子さんの娘さんも『おかしな二人』を読んで知っているって。じやあ僕に聞くなよ。
 ただ、あれは井上さんの視点からであって、徳山さん側からどう見えていたか知りたい? ご本人は公にしてないからね。岡嶋二人解散後、徳山さんは別なパートナーと一時組んで、現在は僕が三代目の相棒といえなくもない。だんだん相方の質が落ちてきている? ほっといてくれ。ともかく普段は別々に仕事していて、それ向きの依頼があったときだけ臨時に組んでるのが、細く長く続いてきた秘訣かな。別に隠すようなこともないけど、でも君に話したってしょうがないだろ。J子さんの娘さんに直にしゃべるんならいいよ。母親に似ていればきっと美人……おっとっと。
 だったらウチヘ来いって。なんで君んちなんだよ。J子さんは再婚した、君と? 君にとっても義理の娘の卒論なんだって。
 あほらし。帰る。ここのの勘定はとうぜん君が持つんだからね。