『推理界のサイモン&ガーファンクル』
新保博久

 ……もしもし、J子さん?……留守中お電話くださったみたいで……ええ、御用件は録音されていたから、分ってます。でも、せっかくのお誘いですが、僕はやっぱり遠慮しときましょう。みんな普通のサラリーマンや奥さんになっているだろうし、ひとりだけミステリ評論家なんて怪しい者が紛れ込んでも、珍しい動物みたく扱われそうで……だから、同窓会はたいてい出ないことにしてるんです。
 それにしても、おかしな留守番電話にびっくりなさったでしょう? 三年ぐらい前に取り付けて、いろいろ凝っているんです。さっきお聴きになったのはサイモン&ガーファンクル三部作の一つでして、BGMが「スカボロー・フェア」になっているのが"ただいま買物に行っております"というやつ。散歩に出てる時は「冬の散歩道」。あとクリスマス用に、「7時のニュース/きよしこの夜」をバックにしたのがあります。わりと受けるんですが、聴いた人があまりのアホらしさに声も出なくなるのか、メッセージを吹き込んでくれないのが難点でして……。
 そういう話を推理作家の岡嶋二人――徳山諄一と井上泉という人たちの合作ペンネームなんですが、その井上さんのほうに何かのパーティで会ったとき話したら、旅行に行っている時は「早く家に帰りたい」、寝ておりますという時は「夢の中の世界」が使えますねと言われました。井上さんはビートルズ世代で、当然サイモン&ガーファンクルもよく御存じなんでしょうが、それにしても頭の回転が早いのに驚いたものです。僕なんか、さっきの三曲を決めるのに何日かかったやら……。
 え? J子さんが聴いた留守番電話は、サイモン&ガーファンクルじやなくて、クレージーキャッツが使われていたって? そうだ、最近作り替えたんでした。こりゃまた失礼いたしヤシターッ。
 ところで、岡嶋さんはふたりで書くから日本のエラリイ・クイーンなんて言われたりしてますけど、むしろ推理界のサイモン&ガーファンクルとでも呼んだほうがいいんじやないかな。そのハーモニーが絶妙なので。ふたりが同じくらい歌がうまくないと、きれいにハモらないわけだから、きっと徳山さんも井上さんどうよう頭のいい人なんでしょうね。岡嶋さんの書くミステリがどれも本当に面白いのは、おふたりの頭の良さからくるに違いありません。
 なに一冊も読んだことがない? やれやれ。競馬ミステリ三部作でデビューしたってのが、まずかったのかな。競馬小説と聞いただけで、女の人は読まないみたいだから。男どもは週刊誌とビジネス書を読むのが精一杯で、たまに気のきいたのは翻訳ミステリに行っちゃうので、女性が買ってくれないと日本のミステリってのは売れないんですよ。まあ、翻訳物一辺倒で国産品は読まないというミステリ・ファンでも、岡嶋二人だけは読むって人が結構いますけどね。それだけ岡嶋作品はレベルが高いわけで、レベルの高いものを読まないでいるんじゃ、女性みずから女の知性をバカにしてることになりますゾ。
 ちょうどいま、岡嶋さんの本の解説を書いているんですよ。『タイトルマッチ』といって、八四年に『野性時代』三月号に一挙掲載され、六月にカドカワノベルズで本になりました。題名から分るでしょうが、ボクシングが背景です。ここがまた女性に敬遠されそう。プロレスは女の子たちの間でファッション的に観るのが流行ったりしてるそうですが、ボクシングはどうもねえ……。
 しかし僕もボクシングってぜんぜん観ないんですが(だいいちテレビを持ってない)、そんなことに関係なく、この『タイトルマッチ』、面白かったですよ。クライマックスの試合場面も楽しめましたが、それ以上にまずミステリの趣向が凝ってますから、喜んじゃいますね。
 世界チャンピオン・タイトルをかけた試合の二日前、挑戦者の甥っ子が誘拐されるんですが、犯人の脅迫がふるってる。普通なら「試合に負けろ」と言ってくるところなのに、「相手をノックアウトで倒せ」って。そんなこと脅迫されなくても努力するはずなんだから、この誘拐の目的はどこにあるのか。とにかくノックアウトできるかどうかは、やってみなけりゃわからないわけで、出来れば試合開始前の五十三時間以内に解決したい。それがタイムリミットのサスペンスを生み、試合の勝敗がどうなるかは、いわばダメ押しなんです。だからボクシングを知らなくても、じゅうぶん面白い。
 もちろんボクシング・ファンが読んでも、すごくリアリティがあるはずです。やはり拳闘界を舞台にした『ダブルダウン』(八七年、小学館)という長篇もありますが、徳山さんのほうが高校卒業後、実際にプロボクサーを目指したことがあるらしいですね。岡嶋さんと権田萬治さんの対談、というより鼎談ですが、それによると、リングに上がるに至るまでに「……プロ・テストを受けろと言われまして、診断に行ったら、受ける前にドクター・ストップがかかって、『おまえ、ボクシングだけが人生じやないよ』なんて言われ」(『IN★POCKET』八六年八月号)たそうですが、だいたい徳山さんはスポーツマン・タイプのようです。『ビッグゲーム』(八五年、現講談社文庫)と『殺人!ザ・東京ドーム』(八八年、カッパ・ノベルス)と野球物も二冊ありますが、このあたりも徳山さんの趣味なんでしょう。井上さんのほうはインドア志向で、ギターやパソコンをいじったりするのが好きなんだそうです。
 ところで『タイトルマッチ』の元版に付いてる「作者のことば」に、「サスペンスは、宙ぶらりんの状態で進む話だと理解している。あっちにぶらり、こっちにぶらり、揺れ動きながら、事態は思わぬ方向へ展開していく。そんな面白さをためしてみたかった。(後略)」とあります。まさにそのように、タイトルマッチ挑戦者と捜査側にさまぎまな不都合が生じて、さらにサスペンスを高める仕掛になっています。
 だからボクシング小説というより、誘拐サスペンス物でしょう。この間いちばん新しい長篇『99%の誘拐』(八八年、徳間書店)が出ましたが、岡嶋さんのミステリには誘拐物が多いんですね。これで十七冊になる長篇のうち四冊が誘拐物ですし、人間じゃなく馬がさらわれたことになったり、誘拐に準ずる脅迫テーマも含めると、全部で七冊になります。それを一覧表にしたのがありますから、見て下さい。なに見えるわけがない? 不便な電話だな、これは。

題名(刊行年)
人質等
脅迫対象
犯人の要求
七年目の脅迫状('83) 不特定の競走馬に伝貧ウイルスを接種
日本中央競馬会
特定レースで犯人の指定する馬を勝たせること
あした天気にしておくれ('83) 3億2千万円のサラブレッドを偽装誘拐
馬主の一人
現金二億円
タイトルマッチ('84) 世界戦挑戦ボクサーの甥(生後10ヶ月)誘拐
挑戦者のボクサー
チャンピオンをノックアウトで倒すこと
どんなに上手に隠れても('84) 女性新人歌手(17歳)誘拐
所属プロダクション
現金一億円
七日間の身代金('86) 富豪の息子(27歳)と後妻の弟(25歳)誘拐
富豪夫妻
現金2千万円
殺人!ザ・東京ドーム ('88) 無差別殺人の3番目の犠牲者が出るのを予告 東京ドーム 現金一千万円
99パーセントの誘拐 ('88)
電子工業会社社長の息子(5歳)誘拐
父親
金塊75キロ(事件当時時価5千万円)
カメラメーカー会長の孫(中学2年生)誘拐 祖父 ダイヤモンド10億円分

 だいたい、江戸川乱歩賞を受賞してデビューした『 焦茶色のパステル』(八二年、現講談社文庫)にしてから、殺人よりも"殺馬"が中心となっておりました。人を殺すのが嫌いな作家のようです。
 推理小説でなかなか人が殺されないとすれば、いつ殺されるか分らないという誘拐は、長篇をもたせるには恰好の題材でしよう。岡嶋作品に誘拐物が多いのももっともですが、一方的に逃げればいい殺人犯人と違って、誘拐犯人はどうしても脅迫する相手と接触しなければならないので、捜査側との駆引きのゲームになるという側面があるところが、書いていても楽しいのかも知れません。
七日間の身代金』(八六年、実業之日本社)連載予告の「作者の言葉」で、岡嶋さんは「現実に起こる誘拐が、もっとも唾棄すべき犯罪であることは、言うまでもない……」と断りながら、「推理小説上に描かれる誘拐は、知的ゲームでなければならないと考えている。捜査にはいささかの緩みも許されないし、犯人には偶然の助けなど、みじんも与えてはならない。どれだけ相手を読みきることができるか。その知的ゲームを楽しんでいただこうと思っている」(『週刊小説』八五年十一月八日号)と語っていました。この言葉は、『タイトルマッチ』にも当てはまるものでしよう。
 岡嶋さんに誘拐物がたくさんあるといっても、それぞれ趣向が違っていて、似たものは一つもありません。犯人にとって最も危険な身代金受渡しも、それをやらずに済ます工夫がなされたり、あるいは捜査陣の意表をついて安全に身代金を手に入れようというアイデアが次々出てきます。犯人が巧妙に身代金をせしめたあとも、なお一ひねりも二ひねりもあるのです。そのことは、先に徳間文庫に入った『 どんなに上手に隠れても』を読んでもお分りでしょう。誘拐そのものの形態も一とおりでなく、最新作の『99%の誘拐』にしても、二十年を隔てて起る二つの誘拐おのおのの手口が斬新なだけじゃなく、二つの事件をつなぐ仕掛にうならされてしまいました。
 誘拐物に限らず、岡嶋作品はどれも一筋縄ではいきません。単に人が殺されて、犯人が誰だか分らないということだけが謎だなんて、ありきたりの推理小説ではないのです。次の作品ではどんな新手を見せてくれるか、これほど新作が楽しみな作家は滅多にいるものではありません。
 どうです、とりあえずこの『タイトルマッチ』だけでもまず読んでみようって気に、なったでしょう?
 ……もしもし、もしもし!……おかしいな、何とか言って下さいな。……ん、とっくに切れていたか、やっぱり。

一九八九年一月