『あとがき』
岡嶋二人

 ほんとは「あとがき」なんてものを書くのは、あまり好きではないのです。好きでないものを、じゃあ、どうして書くのか――そのあたりから、書いてみることにします。
 まず、おことわりしておかなければなりません。それは、この『あした天気にしておくれ』は、昭和五十六年度第二十七回江戸川乱歩賞の候補作になったものだということです。この本は、その時の原稿に若干の手を入れたものです。
 その乱歩賞の選考会で、選者の先生方から、この作品に対して二つのご指摘を戴きました。
 ひとつは、この『あした天気にしておくれ』に使われているメイン・トリックに、他の作品の先例があったということ。
 もうひとつは、そのトリックが、実行不可能で、小説自体が成り立たないのではないかということでした。
 本来なら、そのご指摘に従って、トリックを別のものに替え、違う作品としてまとめるべきなのかも知れません。しかし、私は、トリックにはまったく手を加えませんでした。ご指摘を受けながら、あえて応募したそのままの形で上梓することに致しました。
 ただ、これは、決してご指摘を無視したものではありません。悩み、考えた上でのことなのです。
 そこで、この『あした天気にしておくれ』をこのような形で上梓する私の考えを、「あとがき」として、書いておくことにしたのです。

 まず、実行不可能という点ですが。
 なにが、不可能との指摘を受けたのかといいますと、小説の中に出てくる「複合馬券」の計算システムが事実と違っている、ということでした。
 確かに、現時点においては、競馬場のシステムが大きく変わってしまっていて、この小説のようなシステムがいまだに取られているのは、地方のいくつかの競馬場だけになってしまいました。
 この作品の舞台である東京競馬場は、現在では、まったくシステムが新しいものになって、このトリックは、不可能とまではいかないにしても、効果が激減してしまうのではないかと思います。
 ただ、東京競馬場のシステムが、現在の形になったのは、昭和五十七年十月九日第四回東京開催からで、それまでは、この小説に書いたシステムがとられていました。
 つまり、少なくとも、これを私が乱歩賞に応募した五十六年の時点では、トリックは実行可能だったのです。
 そして、競馬をご存じの方なら、この小説の中に出てくる東京競馬場が、五十七年の第四回東京開催よりも前を描いたものであることは、はっきりとおわかりになると思います。なぜなら、現在の東京競馬場へ行っても、この小説に出てくる二百円、五百円、千円といった額面の馬券は、どこにも発売されていないからです。いまでは、馬券のすべてが、この「複合馬券」になってしまいました。(つまり、この全面切り換えの行なわれたのが、五十七年十月九日だったのです)
 選考会で、実行不可能というご意見が出されたのは、おそらく、ほんのちょっとした、お取り違えだと思いますので、この部分には一切手を加えませんでした。

 次に、トリックに先例があったということについてですが。
 先例といいますのは、夏樹静子氏の推理短編小説『五千万円すった男』です。これは、昭和五十二年春季号の「別冊小説新潮」に掲載されたもので、そのあと、夏樹さんご自身の短編集や、アンソロジーの中に転載された味のある逸品ですから、お読みの方もいらっしゃることでしょう。
 夏樹さんの作品だけを、ここにご紹介したのは、教えて戴いたこの作品以外に、このトリックを使っている小説を、私が知らないからです。正直なところ、まだ他にもいくつもの作品の中で、このトリックは使われているのではないかと思います。あって不思議はないと思うのです。
 なぜなら、(こんなことを書くと、なにか誤解を招きそうですが)このトリックは、ゼロから私の頭の中で創り出したものではないからです。
 実は、このトリック、現実の競馬のある一部で、ある目的のために行なわれていた有名な方法の応用なのです。そして、この有名な方法は、さらに、競馬の外の社会で頻繁に行なわれていることからの応用だろうと思います。(勿体ぶったような書き方をしていることは、わかっていますが、許して下さい。この「あとがき」を、先に読んでおしまいになる方から、お楽しみを奪ってしまわないための苦肉の策なのです)
 つまり、この小説のトリックを思いつくための入口は、あちらこちらにゴロゴロしているのです。
「これで、小説が書けないかな……」
 と考える人が、何人もいたって、ちっとも不思議じゃありません。
 ここで、おことわりしておきますが、私は、この『あした天気にしておくれ』で、トリックがさほど重要ではない、などと言っているわけじゃありません。逆に、この作品にとって、このメイン・トリックは、たぶん最も大きなポイントを占めるものだろうと考えているのです。
 実際、小説の後半三分の一程度は、このトリックを中心に据えて、ストーリーが展開するのですから。これを取り除いてしまったら、小説の基盤自体が揺らいでしまうでしょう。
 つまり、トリックに先行作品があることも、そういった作品には価値を認めない方がおられることも、充分承知した上で、私はこの『あした天気にしておくれ』を上梓することにしたのです。
 なぜなら、私の基本的な考え方は、その小説に「どんなトリックが使われているか」ではなくて、トリックがあるのだとすれば「どんな使われ方をしているのか」だからです。
 たぶん、この小説のメイン・トリックは、これまでいくつもの作品の中で使用されてきたのではないでしょうか。でも、その描かれ方、使われ方、小説そのものに対する役割は、そのひとつひとつがすべて違うと思っているのです。
 推理小説は、一面、作者と読者の読み競べのような要素を含んでいます。ですから、この小説でも、半ばにしてトリックを看破された方も、たくさんおられることでしよう。ある意味では、それは当然のことだと思うのです。
 ですから、なおのこと、トリックが、あるいは犯人がわかってしまったら、後はもう面白くないといった小説を、私は書きたくありません。看破されたとしても、また違った面白さが最後のページまで、続いていなくてはいけないと考えているからです。
 かなりの覚悟で、思い切って言うなら、私の目標は、二度目を読んでもやはり面白いものを書くということです。
 推理小説を書く側にとっての、これが最も大きなルールのひとつではないかと、私は思っています。

 最後に。
 たくさんの方たちから、『あした天気にしておくれ』を出せというお手紙やお言葉を頂戴しました。とっても嬉しいことで、どのようにして感謝を表せばよいのか、よくわかりません。
 この作品を、このような形で発表するために、たくさんの方々に助けて戴きました。読者の方々、先輩の皆さん、出版社の方たち、特に石川喬司氏と講談社文芸第二出版部の今井邦一氏には、数々のご指導を戴きました。この場をお借りして、感謝を申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。

昭和58年8月1日
岡嶋二人