『江戸川乱歩賞全集第十四巻 解説』
山前 譲

 ミステリー界の登竜門として長い歴史を重ねてきた江戸川乱歩賞において、1度に3人の受賞者が出たのはこれまでたった1回しかない。1982(昭和57)年の第28回である。といっても、3作が同時受賞したわけではない。第23回以来の2作受賞だったが、そのうちの1作が日本のミステリー界では珍しい合作だったからだ。
 選考会は7月12日に行われたが、最終候補作は以下のとおりである。
  須郷英三「長い愛の手紙」
  中津文彦「黄金の砂」
  高沢則子「ローウェル城の密室
  雪吹学「ミスターXを捜しましょう」
  深谷忠記「ハーメルンの笛を聴け
  岡嶋二人「焦茶色のパステル」
 普通ならば最終候補作は4、5作だから、6作は異例である。しかも、16歳と22歳という若い作者が残っていて、その才能を高く評価する選者がいた。結局、受賞したのは『焦茶色のパステル』と『黄金の砂』の2作だが、前者が合作だった。異色ずくめの乱歩賞だったと言える。エラリー・クイーンやコール夫妻など、欧米では合作者はまったく珍しくない。だが、日本では、合作自体は何件かあったものの、恒常的な合作者はそれまでいなかった。いつも以上に話題を呼んだ江戸川乱歩賞だった。
 その合作である『焦茶色のパステル』は競馬というテーマがユニークだ。牧場での人馬銃殺事件に、伏線が巧妙に張られていく。会話を中心にしたテンポのいい文体が謎解きを楽しませてくれる。前年度も『あした天気にしておくれ』で最終候補に残っていたが、トリックの前例と実行性に疑問が出て(それは不幸にも誤読であった)受賞を逸していた。『黄金の砂』は盛岡のホテルで歴史学者が殺された事件に、平泉の黄金伝説や義経北行伝説が絡んでいく。暗号やアリバイなど趣向が一杯の歴史推理で、ラストシーンが衝撃的だ。乱歩賞ではすでに何作か歴史推理と言える作品が受賞していたが、また異なる視点から謎解きが展開されている。
 1982年9月に両作は同時に講談社から刊行された。その際、『黄金の砂』は『黄金流砂』と改題されている。奇しくもともに東北地方が重要な舞台だが、そのアプローチはまったく違っている。作風もまったく異なり、たしかにどちらか1作に絞るのは難しかっただろう。
 岡嶋二人とは井上泉氏と徳山諄一氏の合作ペンネームである。井上氏は1950(昭和25)年、福岡県生れ。徳山氏は1943年、東京生れ。ふたりの馴れ初めとデビューに至るまで、そしてデビューしてからのさまざまなことは、“岡嶋二人盛衰記”とサブタイトルのある井上氏の長編エッセイ『おかしな二人』(1993 現在は講談社文庫収録)に詳しい。引用を含めて以下の記述はそれをもとにしているが、このエッセイはミステリー作家を志す人にとってもっとも役に立つ1冊だろう。まったく一からミステリーを書き上げていったプロセスが詳しく書かれ、新人賞の選考システムの一端が描かれているからである。
 井上氏と徳山氏が友人を介して初めて出会ったのは1972年6月12日だった。実験的な映画を撮り、バンド活動をしていた20歳そこそこの青年と、合板機械の図面を書いていた28歳の推理小説好きの青年は、なぜか意気投合する。ほどなく市富柚子なるペンネームを考えて小説創作ごっこを始めた。最初は苦しい現実から逃避する遊びにすぎなかったが、1975年9月、江戸川乱歩賞をとって作家になり、お金を稼ごうと決心する。互いにアイデアをぶつけあい、プロットとトリックが練られていくが、小説などまったく書いたことのないふたりだった。ほとんど原稿はできず、翌年2月末の締切りは関係なかった。
 井上氏はそれから推理小説を必死に勉強した。相変らずふたりでディスカッションしながら構想を煮詰めていく。徳山氏は“具体的なトリックや状況から出発して、それを話し合いの中で転がしながら発展させていく”タイプで、井上氏は“まだ見えぬ小説や事件の雰囲気だとか匂いだとか、あるいは逆に小説が読者に与えるイメージや視覚効果”を思い付くタイプだった。具体的と抽象的。その違いが互いを刺激し、合作を成功させていく。
 最初に応募したのは1977年の第23回で、『くたばれ巨象』という野球ミステリーである。ペンネームはニール・サイモンの戯曲『おかしな二人』をもじったものだが、戯曲も、映画化されたものも観てはいなかったという。原稿は井上氏が書いた。当時、シナリオライターの仕事をしていたというのが理由だったが、それが既定事実となる。以後、徳山氏が岡嶋名義の小説を書くことはなかった。
『くたばれ巨象』は一次予選を通過してささやかな自信をつかむ。けれど、翌々年に応募した自信作の『探偵志願』は一次すら通過しなかった。ショックではあったが、反省の材料ともなった。『誘拐』を課題としてアイデアを練り、3度目の応募をしたのは1981年、第27回である。ちなみに、ひねりの利いた岡嶋作品の誘拐物の基本アイデアのほとんどは、1977年から78年にかけての時期に得たという。
 サラブレッドの誘拐を仕掛けた3回目の応募作『あした天気にしておくれ』には、これまで以上に自信があった。講談社の編集者からも有力だと連絡があったが、前述のような理由で落選する。「題材にたよっている」という選評に反発し、プロットを入念に練ったのが次作の『焦茶色のパステル』だった。4回目の応募でようやく念願の乱歩賞を受賞するが、井上氏はそれ以前の5年間が岡嶋二人という作家の黄金期だとしている。合作という執筆方法が確立され、その後の作品に生かされるたくさんのアイデアがストックされたからだ。乱歩賞受賞はデビューであり、クライマックスだったのだと──。
 紆余曲折のあった岡嶋二人誕生秘話に比べれば、推理作家・中津文彦の誕生はじつにオーソドックスなものと言えるかもしれない。中津氏は1941(昭和16)年、岩手県釜石市に生れ、3歳半ぐらいで一関市に移り、高校卒業まで過ごした。本姓は広嶼である。5歳の頃に小児結核に罹り、小学校時代には体育の時間を免除されるような健康状態だったという。あまり友達もできず、高校教諭だった父親の本棚から『漱石全集』や田山花袋『蒲団』などを引っ張り出して読んでいた。
 一関一高に進む頃には健康もすっかり回復している。剣道ばかりしていたというが、小説はずっと読んでいた。小説家を意識したのは、学習院大学経済学部在学中の20歳の頃だった。『夜間飛行』などのサン=テグジュペリの作品と生涯に共感を覚え、卒業する頃には、彼と同じように飛行機乗りになって小説を書こうと考える。だが、その夢は破れてしまう。父親との約束で帰郷し、1965年、盛岡の岩手日報社に入る。
 長く報道部の記者として第一線にいたが、やがて、校閲部、そして事業局と、人事異動によって現場から離れてしまう。原稿を書くという意味で、若い頃には新聞記者を天職と思った時期があっただけに、自分の存在意義を見失ってしまう。そして、再び小説を書こうという意欲が湧いてくるのだった。

その時に蘇ってきたのがちょうど5歳、6歳、7歳、僕が不自由な闘病生活をしていたにろの記憶です。外で思いっきり暴れたりできない私を親父が憐れだと思ったんでしょうね。平泉の歴史物語、義経北行伝説、藤原三代の話、義経の生涯に絡んだ源平の合戦、そんなふうな平安末期の歴史物語を、ずっと毎晩、眠くなるまで話してくれた。そんな記憶が蘇ってきまして、少し調べながら『黄金流砂』を書きました。
「ふるさとと私」(講演集『十人の作家ふるさとを語る』収録)

 初めて平泉を訪れたのは4歳にもならない頃だった。1945年秋、軍隊から復員してまだ教職に復帰するまえの父親と、一緒に旅したのである。「夏草や兵共が夢の跡」の句碑の拓本をとる父親の姿を覚えているという。そうした幼い頃からの下地があるだけに、小説を書こうと思い立ったとき、平泉の黄金伝説の謎をメインテーマとしたのは自然な流れだったに違いない。
 最初に考えたペンネームは「中津不翔」だった。当時、失意の時代にあって、小説もどうせ「鳴かず飛ばず」だろうという思いがあったのである。盛岡に流れる中津川も多少意識していた。結局は本名との折衷のペンネームになり、『黄金の砂』と題した作品を投稿する。選考会の当日は代休をとって家にいたが、ふと思いついて、一関に向かい、父親の墓参りをした。そして帰ると、受賞を知らせる電話が掛かってきた。亡き父親に導かれての江戸川乱歩賞と言えるだろう。年末には新聞社を辞め、作家専業となっている。
 こうして、乱歩賞としては初の合作作家だった岡嶋二人氏と、歴史推理に新風をもたらした中津文彦氏のデビューした1982年の、日本のミステリー界はどんな状況にあっただろうか。前年の12月に、最後の探偵作家と言われた横溝正史氏が79歳で亡くなるという哀しい出来事もあったが、ミステリー界そのものは話題作が相次いで活況を呈していた。
 その中心にあったのは、新書サイズのいわゆるノベルス(ノベルズ)である。西村京太郎氏の『終着駅殺人事件』や赤川次郎氏の三毛猫ホームズ・シリーズがベストセラーとなっていた。すでに光文社、徳間書店、祥伝社などが積極的に刊行していたが、1981年には角川書店が、そして82年には講談社と、大手出版社が新たにこのジャンルに参入、いずれもミステリーをメインとしていた。
 ノベルスは毎月、新刊をある点数揃えなければならない。必然的にミステリーは量的に膨らんでいった。1年間の新刊が200点を超えるようになった。二上洋一氏は『昭和57年度ミステリー回顧』(『推理小説代表作選集』に収録)で、“新しい意欲作を読めることは結構なのだが、これが、推理小説の拡散に拍車をかけ、読者離れにつながらないよう、傑作、力作を期待したいものである”と危惧していたが、200点どころか、出版点数は300点、400点と年々増えつづける。量的には、日本経済に先駆けて、ミステリー界はバブル期に入っていた。
 ただ、だからといって質的な低下があったわけではない。読者と出版社のニーズが、読み応えのある作品を引き出す。新人であっても創作活動の場が存分に与えられたのだ。なかでも、江戸川乱歩賞を受賞した岡嶋氏や中津氏は、もっとも注目される新人であった。受賞第一作は、両氏とも、講談社ノベルスの創刊一周年記念フェアとして、1983年5月に書き下ろし刊行されている。競馬ミステリーの『七年目の脅迫状』と、中国残留孤児の悲劇をテーマにした『喪失荒野』である。
 同じ年、岡嶋氏はさらに乱歩賞候補作だった『あした天気にしておくれ』を、翌84年にボクシング・チャンピオンの息子が誘拐される『タイトルマッチ』、歌手が誘拐される『どんなに上手に隠れても』、ユーモア推理の連作『三度目ならばABC』をノベルスで刊行した。ほかに単行本で短編集『開けっぱなしの密室』もまとめている。競馬にこだわるわけではなく、やはりプロットとトリックに工夫があった。
 中津氏も、1984年に、歴史推理の『ジンギスカン殺人事件』と『伊達騒動殺人事件』、新聞記者物の『特ダネ記者殺人事件』と長編を書き下ろし、新聞記者を主人公にした連作『“翔んで”もない殺人』をまとめている。いずれもノベルスだった。両氏とも、期待の新鋭として長短編に精力的な創作活動をみせたのである。
 だが、『おかしな二人』によれば、この時点で、すでに井上氏は作家・岡嶋二人の消滅を予感していたという。受賞する前は十分にディスカッションする余裕があったが、デビューしたあとは、殺到する仕事に追われることとなった。複数の仕事を同時にこなすため、ふたりが会う時間が削られていく。徳山氏が〈材料〉を提供し、井上氏がそれを〈原稿〉とする分業化が進んでいったが、両者でじっくりとアイデアを転がす余裕がなく、ただ締切りに苦しめられる日々だった。作品の質についても井上氏は危惧しつづけていた。ただ、そうした内部事情を知らない読者にとっては、岡嶋二人作品は刺激的なものばかりだった。
 1985年には岡嶋作品は5冊刊行されている。日本推理作家協会賞を受賞した『チョコレートゲーム』を最初に、便利屋を探偵役にした連作『なんでも屋大蔵でございます』、構成に趣向のある『5W1H殺人事件』(のちに『解決まではあと6人』と改題)、企業とタイアップした『とってもカルディア』、推理クイズ集の『ちょっと探偵してみませんか』、そして野球ミステリーの『ビッグゲーム』と、多彩な作品に合作作家らしさを感じさせた。
 1986年にはシミュレーションノベルズと銘打たれた『ツァラトゥストラの翼』がある。いわゆるゲームブックで、井上氏はパソコンを用いて執筆した。同年には『コンピュータの熱い罠』もあり、コンピュータ社会をいち早く作品に取り入れていた。この年にはパソコン通信も打ち合わせに導入している。また、『七日間の身代金』は誘拐物と思わせてツイストを利かせていた。
 創作システムを立て直すため、短編は断わるようになった。1987年には連載長編の『珊瑚色ラプソディ』『殺人者志願』『ダブルダウン』と、核シェルター内という極限状況での推理が斬新な『そして扉が閉ざされた』が刊行されている。井上氏は合作というスタイルに限界を感じてはいたけれど、これらの作品は読者の期待を裏切っていない。1988年には、警視庁の秘密組織を登場させた『眠れぬ夜の殺人』、12日間で書き上げたという『殺人!ザ・東京ドーム』、そして第10回吉川英治文学新人賞を受賞した『99%の誘拐』がある。コンピュータを大胆に利用したこの誘拐ミステリーは、岡嶋二人作品のなかでもトップに位置するものだった。アイデアがふんだんに織り込まれていたが、合作は実質的にこの作品が最後だったようだ。
 1989年の『クリスマス・イヴ』と『眠れぬ夜の報復』は、徳山氏のアイデアを井上氏が小説にしたにすぎない。一方、ヴァーチャル・リアリティの世界が斬新な『クラインの壼』は井上氏だけで書いたという。その『クラインの壼』が刊行された10月、デビューから7年で岡嶋二人という作家は消滅する(1991年に自動車ラリーのレポート『熱い砂』が刊行されているが、これは連載をまとめたもの)。
 2年前に綾辻行人『十角館の殺人』が刊行され、ミステリー界に新本格のムーブメントが興っていた。ハードカバーでの出版も盛んになる。いっそう出版界がミステリーに注目し、年末になれば各種ベストテン選びの結果が話題を呼んでいた。出版点数は500点を超え、ひとつのピークを迎えようとしていた。いろいろな意味でミステリー界が活気づいていた時代だっただけに、岡嶋二人が消え去ってしまうことを惜しむ声は大きかった。
 その頃、中津氏も迷いの時期にあったと言えるかもしれない。乱歩賞受賞作が印象的だっただけに、出版社からは同じような歴史推理を求められたが、しばらくはそれに反発する思いがあったという。ひとつのカラーに染まることを嫌って、意識的にいろいろな作品を手掛けている。
 第12回角川小説賞を受賞した『七人の共犯者』(1985)は地方都市を舞台にした警察小説だった。権力構造の多様化に着目した社会派推理で、『殺意の指揮者』(1987)、『疑惑の演出者』(1988)と書き継がれた。連続殺人の謎解きである『遠野物語殺人紀行』(1986)、クルージング・ミステリーの『南海北緯17°の殺人』(1988)のほか、単身赴任者の悲哀を描く『博多人形 恋の殺人』(1987)、アンティーク探偵がユニークな『はぐれ古九谷の殺人』(1988)、女性弁護士が主人公の『マリー事件簿の女たち』(1989)と、味わいの異なる連作もあった。リリカルな旅情の漂う『ラトビアの霧』(1988)や、かつての戦争を背景にした本格推理『ラバウルの秘宝』(1988)と、海外を舞台にした長編もある。
 1986年の『隠岐ノ島死情』を皮切りに、日本推理作家協会賞の短編および連作短編集部門ではたびたび候補に挙げられた。1987年の『遠眼鏡の中の女』、1989年の『くせ』、1990年の『玄界灘の殺人』がその候補作である。惜しくも受賞には至らなかったが、『遠眼鏡の中の女』(1986)、『秘密』(1988)、『乗り合わせた客』(1990)と、短編集もまとめている。
 歴史推理を忘れたわけではない。『成吉思汗の鎧』(1987)では再び義経北行伝説に取り組んでいた。『縄文土偶殺人事件』(1986)や『みちのく王朝謀殺事件』(1989)で東北の歴史を取り上げ、『千利休殺人事件』(1986)や『山田長政の密書』(1989)では著名な歴史上の人物をテーマとしていた。
 こうしてデビューから7、8年が経った頃に、中津氏があらためて確認したのは、歴史物への興味と、生れ育った東北地方へのこだわりであった。1990年以降、ふっきれたように歴史推理に意欲を見せている。なかでも、よく知られている事実の闇の部分にスポットライトを当てた「闇シリーズ」が注目された。『闇の法隆寺』(1994)、『闇の弁慶』(1990)、『闇の本能寺』(1990)、『闇の関ケ原』(1994)、『闇の天草四郎』(1991)、『闇の龍馬』(1992)と、古代から近代まで幅広いテーマが選ばれ、大胆な推理を展開している。『西郷暗殺指令』(1992)もここに連なる長編と言えるだろう。
 古美術への関心を見せた『遠野陶芸の里殺人事件』(1991)、遣欧使節支倉常長の古文書が現代政界の連続殺人と交錯する『「独眼竜」野望の殺人』(1993)、『「義経伝説」空白の殺人』(1993)と、東北地方への思いを結実させていく。『遠野陶芸の里殺人事件』に登場した警視庁捜査一課のアンティーク刑事・加賀見は『将軍茶碗殺人事件』(1991)にも活躍した。
 いわゆる「正史」と呼ばれるもの、すわなち公的な記録の裏に隠されている出来事を、中津氏は鋭く探り出していく。それは、侵略によって真実の姿が見えなくなってしまった東北古代史への憤りと共通する。歴史の真実の姿は今日、必ずしもきちんと伝えられているとは限らない。むしろ、支配者の意のままに歪曲されていることのほうが多いだろう。権力闘争のはてに葬られた闇の歴史に、中津氏の視線は向けられてきた。
九つの謎と死角』(1993)や『興隆と滅亡の方程式』(1995)のようなノンフィクションがあり、『秘刀』(1995)ほかの時代小説が発表されたあと、中津氏はより大胆な歴史の再構築に挑戦していく。『政宗の天下』(1996~1997)、『龍馬の明治』(1997~1998)、そして『黄金流砂』と対を成すと言ってもいい『秀衡の征旗』(1998~1999)と、各々三部作で書かれた歴史シミュレーション小説である。歴史の転換期を新たな視点から捉えていた。さらに、『謙信暗殺』(1999)、『黄金回廊』(2000)、『邪馬台国の殺人』(2002)と、歴史推理の世界もさらに多彩になっている。
 コンビの解消された作家・岡嶋二人のその後だが、井上氏は井上夢人のペンネームで、1992年の『ダレカカナガニイル…』を最初に、『プラスティック』(1994)、『パワー・オフ』(1996)、『風が吹いたら桶屋がもうかる』(1997)、『オルファクトグラム』(2000)、『クリスマスの4人』(2001)などの作品を発表している。『クラインの壺』の延長線上にあるSF的趣向を織り込んだ長編が目立つ。インターネット社会にいち早く対応し、積極的に活用してきた。徳山氏は田奈純一のペンネームで、1991年、長編『キャット・ウォーク』を小説推理に発表したが、これは1冊にまとまっていない。推理番組の原案や漫画原作などでそのユニークなアイデアを生かしている。もちろん、岡嶋二人という名前の作家が消えてしまっても、その作品までがこの世から消滅してしまったわけではない。いまなお読み継がれているのは言うまでもないだろう。
 第28回江戸川乱歩賞からは、こうしたユニークな3人の推理作家が誕生した。それだけでなく、最終候補作には、高沢則子名義で小森健太朗氏(16歳という歴代の最年少候補作家だった)の『ローウェル城の密室』、そして深谷忠記氏の『ハーメルンの笛を聴け』と、のちに刊行される作品が残っていた。須郷英三氏は高場詩朗と名を改めてデビューしている。6作という異例の数の最終候補作にも理由があったのだ。そのなかから選ばれた『焦茶色のパステル』と『黄金流砂』の面白さは保証されている。