『解説』
中島河太郎

 1926年(大正15年)にヴァン・ダインが登場し、アメリカの堆理小説界は面目を一新した。3年後にエラリー・クイーンがデビューし、ますます活況を呈した。さらにその3年後の1932年(昭和7年)に、バーナビー・ロスが「Xの悲劇」をもって現われた。それをはじめとする四部作は、ヴァン・ダインやクイーンに匹敵する、あるいはかれら以上の新作家の出現と騒がれたが、戦後になってロスはクイーンの別名であることが明らかにされて、読者を唖然とさせた。
 しかもそのクイーンが従兄弟2人の合作名義であることが分ったが、それまでは正体を匿すのに大童で、推理小説そこのけの工夫を凝らしたものである。
 クイーンはとうとう合作の方法について沈黙を守ったまま、2人とも世を去ったが、はじめから合作を標榜した作家もいる。「百万長者の死」などのコール夫妻、「湖畔の殺人」などのロックリッジ夫妻がそうであり、「笑う警官」などのシューヴァル、ヴァールー夫妻がある。
 日本では作品によって合作を試みた江戸川乱歩、横溝正史、海野十三、角田喜久雄氏らの例はあるが、ひとつの筆名を用いての共作作家の誕生は、読書界に華やかな話題を提供した。昭和57年に第28回江戸川乱歩賞を受賞した岡嶋二人氏がそれである。
 クイーンの場合はアメリカ出版ジャーナリズムの利点と、彼ら自身の悪戯気があって、その正体は数年にわたって隠しおおせたのだが、岡嶋氏はペンネームでも「二人」を名乗って、共作であることを明らかにしたのは、日本の事情によるものだろう。
 共作者のひとりの徳山諄一氏は昭和18年生まれ、法政大学経済学部を中退し、会社員、自営業を経てニュー・メカニックスに勤務しており、もうひとりの井上泉氏は昭和25年生まれ、多摩芸術学園映画料を中退、映画制作、自営業、パチンコ店員、シナリオ・ライターなど多くの職種を経験し、フリーのライターであった。
「おい、乱歩賞ってのがある。こいつはどうだ?」と、2人で顔を見合わせてから、6年目の栄冠であったが、実は前年にも最終候補作に挙げられ、惜しくも受賞を逸した。その翌年に見事に雪辱を果たしたことになる。
 受賞作の「焦茶色のパステル」は、新しい領域として注目されていた競馬ミステリーに挑戦したものである。日本でも阿部牧郎、石川喬司、海渡英祐、佐野洋、西村京太郎、三好徹氏らによって長篇が書かれているが、なんといっても刺激的であったのは、ディック・フランシスの出現であった。
 1920年にウェールズの農場で生まれた彼は、少年時代から狩猟と乗馬が好きで、将来は大障害の騎手になることを夢みていたという。
 イギリス空軍のパイロットになったが、戦争が終わったので、アマチュア障害騎手を経てプロ騎手となり、エリザベス皇太后のお抱えになっていたとき、全英チャンピオン・ジョッキーの栄誉に輝いた。騎手生活を退いてからは新聞の競馬欄を担当していたが、1962年に「本命」を刊行して以来、瞬く間にミステリー作家としても、騎手のときに劣らぬ高い評価を得た。
 20作余も競馬界だけを対象にして書き続け、その1作ごとに推理とサスペンスを盛りこんだ多彩な手法で、読者を捉えて離さないのだから見事なものである。ところがわが国でも、どうやらそういう時期に到達しそうである。
「焦茶色のパステル」は東北の牧場で、競馬評論家と牧場長、それに2頭のサラブレッドが撃ち殺されるという事件が発端である。この評論家ははじめ、殺されたサラブレッドのうち、当歳馬のパステルの馬主になろうとする喫茶店のマスターからの相談に、賛意を表していたが、あとになってちょっと待てと申し入れた。パステルは四冠馬ダイニリュウホウの仔なのだが、彼は馬の写真を見て、何か疑問を抱いたらしく、牧場に出かけてこの災難に遭ったと見られた。
 またその前の週には、評論家と何事か密談していた獣医学の講師も殺されていたことが分った。そこで評論家と離婚するはずだった妻と、妻の友人の競馬誌の記者がコンビになって、探偵捜査活動に乗り出す。
 妻はまったく競馬に関して無知だが、友人の手ほどきでだんだんこの世界が分ってくる。競馬を知らない読者にも、会話とストーリーを通して、分り易く呑みこませる筆力は達者である。
 この女性探偵役はコンビとはいうものの、妻のほうはむしろ足を引っぱったり、ボロを出したりする。2人が知恵を出しあって協力するという常套を避けたところが、本篇の手柄である。
 事件のほうは名馬の血統に関する疑惑にからんで、汚職事件へと発展する。活劇まがいの個所もあるが、構成力がしっかりしている上に、意外性に富んでいて充実した佳作である。選考委員が全員一致で推し、将来を嘱望したのも当然であった。
 58年の受賞第1作の「七年目の脅迫状」は、指定したレースの馬を勝たせろと、中央競馬会に届けられた脅迫状にはじまる。あまりにも無法な要求に、本気にせずとりあげないでいたら、とうとう脅迫状にあるおどしが実行に移された。
 二億円のサラブレッドが、治療法のない伝貧(馬伝染性貧血)のウィルスを注射されたのだ。競馬界にとって大打撃どころか、崩壊を招きかねない重大事態に直面した。競馬会から脅迫者をつきとめるよう指示された保安課員が現地の北海道に飛んでみると、中央火災の女性調査課員と鉢合わせした。この会社は競走馬の保険を扱っているが、課長同道の出馬はただごとではない。
 妻を亡くした保安課員が、再婚を勧められている相手が、ここで出会つた保険会社の女性だった。2人はお互いに結婚する意志のないことを表明しながら、それぞれの立場から事件の真相をつかもうと競争する。そのライバル意識が接査の進行につれ、理解と協力へ転じていく設定も無理がない。
 肝腎の事件は7年前の伝貧騒ぎが下敷きになっているため、謎が錯綜して容易にほぐれない。受賞作にしても本篇にしても、競馬界にとってはショッキングな事件を想定する作品が出現したのだから油断ができない。
 著者は同じ年に「あした天気にしておくれ」を刊行した。これは前々年度江戸川賞の候補作に若干の手入れをした作品であった。当時の選考委員はこの作品のトリックが実行不可能で、小説自体が成立しないのではないかということと、本篇のメイン・トリックに先例があったという点を吟味して、授賞を見送った。
 著者はその第1点について、現在はともかく応募時点の56年には実行可能であったと一蹴し、第2点について、このトリックは現実に行なわれた有名な方法の応用で、自分はトリックがどんな使われ方をしているかに重点をおくといい、「あえて応募したそのままの形で上梓」したと所信を述べている。
 選考の難しきをまざまざと見せつける問題だが、本篇では同じく競馬を扱っても趣向が変っている。三億二千万円のサラブレッドが、思いがけない事故で骨折したため、薬殺して盗まれたと見せかける策謀が進められた。思惑と喰いちがって意外な進展を見せ、巨額な身代金の受け渡しが、奇想天外な方法で成功する。
 競馬界に取付しながら、どの作も構成をゆるがせにせず、巧緻な計画を強烈なサスペンスで包んだストーリー展開の妙は、新人では1頭抜きん出ている。
 最新作の「タイトルマッチ」では、ボクシング界に視野を拡げた。この2頭立ての駿馬がどれほどの疾走よりを見せるか、ますます活躍を刮目したい。