『魔法使いの弟子たち』解説
大森 望

 
『魔法使いの弟子たち』は、井上夢人にとって7冊目の長編にあたる。月刊誌「小説現代」の2008年五月号から翌年11月号まで1年半にわたって連載されたのち、2010年4月に講談社から四六判単行本として刊行された。

 題名の由来は、フランスの作曲家ポール・デュカスが1897年に書いた管弦楽曲、「交響詩『魔法使いの弟子』」。この曲は、ディズニーの劇場アニメ「ファンタジア」に使われて、ミッキーマウスが、タイトルロールの”魔法使いの弟子”を演じたことで有名。師匠の魔法使いに水汲みを命じられたミッキーは魔法を使ってほうきに水を汲ませるが、魔法を解く方法がわからず、ほうきが際限なく水を汲みつづけて大洪水に──というコミカルな内容。著者によれば、”魔法使いの弟子”という語感が好きだったので題名だけ拝借したそうですが、夢のような力も使い道を誤るととんでもないことになってしまう──というテーマ(SF的に言えば、テクノロジーの自走性)とエスカレーションのモチーフは、本書の中身になんとなく通底していなくもない。

 ここで、著者の筆歴を簡単にふりかえっておくと、岡嶋二人を1989年に解散した井上夢人が、初のソロ長編『ダレカガナカニイル…』(講談社文庫)で颯爽とデビューを飾ったのは、1992年のこと。以来、現在までの20年余に発表した長編は、1994年『プラスティック』(講談社文庫)、1996年『パワー・オフ』(集英社文庫)、1997年『メドゥサ、鏡をごらん』(講談社文庫)、2000年『オルファクトグラム』(講談社文庫)、2001年『クリスマスの4人』(光文社文庫)、2010年『魔法使いの弟子たち』(講談社文庫=本書)、2012年『ラバー・ソウル』(講談社)の8冊。相当な寡作の部類に属するんじやないかと思いますが、その分、どの長編もそれぞれに趣向を凝らし、綿密に組み立てられた作品ばかり。その中にあって、本書は思いきり異彩を放っている。

 主人公の仲屋京介は、〈週刊エタニティ〉の契約記者。山梨県甲斐市の竜王大学医学部付属病院で発生した院内感染の取材を命じられ、現地に急行するが、厳重な警戒に行く手を阻まれる。未知の伝染病による死者はすでに16人に達し、院内では450人が隔離されているらしい。いくら取材でも、とても病院には入れない。

 しかたなく、市役所が用意した相談窓口に向かった京介は、落合めぐみという若い女性と知り合う。彼女は、婚約者の医学生、木幡耕三の安否が知りたいのだという。が、喫茶店で話している最中、京介はめぐみの様子がおかしいことに気づく。もしや、問題の新型感染症に罹患しているのでは? 京介はその場で119に電話を入れ、ふたりは完全防護の救急隊員によって、はからずも竜王大学付属病院へと運ばれることに……。

 というわけで、小説はまず、手に汗握るパンデミック・スリラーとして開幕する。おお、『パワー・オフ』でコンピュータ・ウィルスを扱った井上夢人が、今度は正面から生物学的ウィルス・パニックものを書いたのか──と思ったら大まちがい。小説の軌道は思いがけない方向にカーブし、ものすごい横Gとともに読者をふりまわしはじめる。ローラーコースター・ノベルという呼び名がこれほどふさわしい小説も珍しい。周到に伏線を張りめぐらし、緊密きわまりない構成である1点に向かって収束していく『ダレカガナカニイル…』や『ラバー・ソウル』とは対照的に、本書は典型的なエスカレーション型。しかも、だいたい10章ごとに大きな転換があり、次々に新しい光景を見せてくれる。

 たとえば──と説明したいのは山々ですが、カーブの向こうがどうなっているのか知ったうえでローラーコースターに乗るのは興醒めもいいところ。このコースターの乗り心地は抜群で、どんなに速度が出ても、どこを走っているのか戸惑う心配はない。予備知識ゼロのまま安心して乗車して、まずは強烈な加速と回転と遠心力を心ゆくまで楽しんでいただきたい。

ここからは内容に触れています。作品読後にお読みくださいますようお願い申し上げます。
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 ああ、おもしろかった、とコースターを降りてまだ膝ががくがくしている人たちがゆっくりクールダウンしている時間を借りて、このコースターがどういうタイプのもので、どんなふうに設計されているのかについて、なくもがなの説明をさせていただく。まだ乗っていない人はくれぐれもご注意ください。よろしいですか?

 では、冒頭のパンデミック・スリラーから、小説がどう変化するのかを見てみよう。のちに〈竜脳炎〉と名づけられるこの新型感染症の致死率は、当初ほぼ100パーセント。初期の罹患者のうち、生き延びたのはわずかに4名しかいない。発生源と見られる木幡耕三は、発症から2ヵ月を経ても意識不明のまま。無事に恢復したのは、京介とめぐみ、それに93歳の老人、興津繁の3人だけ。しかもその3人は、竜脳炎の“後遺症”として、それぞれ不思議な力を身につけていた……。

 と、ここから先(8章以降)は、なんとびっくり、井上夢人流の超能力SFに転調する。この手のサスペンスだと、バックについている外資系の製薬会社が事態を隠蔽するために主人公たちを監禁するとか、(アメリカの小説だったら)政府系機関の一部が背後で陰謀をめぐらして──というような展開になるのがお約束のパターンですが、井上夢人はその手の陰謀論には与しない。

 生き残った3人は、竜王大学ウィルス研究所のワンフロアにしつらえられた居住スペースで暮らすことになるが、出入りも外部との連絡も自由。もちろん自宅に帰ることもできるし(ただし、帰ってもあまりいいことはない)、竜王大学の医師たちは、あくまで良心的な科学者として彼らの能力を研究する。

 めぐみの能力は、手を触れずにものを動かすことのできる念動力、いわゆるサイコキネシス。京介は、過去や未来を自在に透視する力。そして、興津老人は、とても老人とは思えない若々しい姿に変貌、なおかつ他人の体に入って自在に操る力があるらしいことがわかってくる。

 めぐみや京介がみずからの能力を磨き、その範囲を知るためにさまざまな実験をくりかえす場面は読みどころのひとつ。ある特殊な力がとつぜん備わったとしたら、その力を使ってどれだけのことができるのかを確かめてみたくなるのは理の当然。凡百の超能力ものでは、そのへんをおろそかにするケースが多いんですが、そこで手を抜かないのが井上夢人。

 そもそも、『オルファクトグラム』では、“異常な嗅覚を獲得したらいったいどうするか”という前提からリアルなサスペンスを紡ぎ出しているから、この種の超能力ものは昔とった杵柄というか、それを大幅にパワーアップ&スケールアップしたのが本書だと言えなくもない。考えてみれば、『the TEAM』も(話の傾向は全然違いますが)超能力者の話だったから、井上夢人は、現役作家の中では(『光の帝国』『劫尽童女』『夜の底は柔らかな幻』などの恩田陸や、『龍は眠る』『クロスファイア』『鳩笛草』などの宮部みゆきに次いで)かなりの超能力好きに分類される。突拍子もない設定から出発して徹底的に理詰めで展開するという作風に、超能力というモチーフがぴったりはまるということだろうか。著者いわく、「嘘っぱちな物語を、見てきたように描いてみようというのが、この作品(本書)で僕が挑戦したことでした」。

 そして23章に入ると、「あたしたちの持ってる後遺症って、隠さなきゃいけないものなんですか?」という落合めぐみの台詞をきっかけに、今度は「超能力vs.テレビ」という、たいへんおいしいネタが浮上してくる。これが第3のパート。

 いまどき、こんな能力があったら、まずテレビに出るんじゃないの? という読者の素朴な期待を裏切らないのは『オルファクトグラム』のときと同様。ただし、今回の能力ははるかに派手なので、テレビ的にもはるかに派手な展開が待ち受けている。

 いいぞいいぞ、もっとやれ! と読者が喝采しはじめると、30章で一転、主人公たちを悲劇が襲う。彼らの運命は、あれよあれよという間に奈落の底へと落ちてゆく……。

 というわけで、「vs.テレビ」編につづく第4パートは、「vs.警察」編。ほとんど平井和正の『幻魔大戦』か、大友克洋の『童夢』『AKIRA』かという派手なスペクタクルが展開する。

 ふつうのエスカレーションものだったら、さすがにこのへんで種切れになり、風呂敷を畳みにかかるところなんですが、井上夢人はまさかのツイストを用意する。まさかアレがそういう伏線だったとは……。37章からの第5パートでは、主人公たちのライバルとして思いきり意外な相手が急浮上。「vs.××」(あえて伏せ字)編の幕が上がる。

 思わず笑ってしまう人もいるんじゃないかと思いますが、このぶっとんだ展開が事件の真相を解き明かす鍵となり、47章から最終パートの謎解き編(および終末編)にさしかかる。

 とまあ、こういうふうに要素に分解してみると、このコースターがだいたい6つのパーツで構成されているのがよくわかる。しかも、それぞれ読者を揺さぶる方向がまったく違うので、読んでいて飽きる暇がない。そして最後の最後に待ち受ける驚愕のラスト……。さしずめ、起転転転転結という感じでしょうか。

 ハリウッド製の某B級SF映画(気になる人はググってみてください)でも結末のひねりにこれと同様のアイデアが使われてましたが、本書のほうがはるかに衝撃度と必然性が高い。いきなりローラーコースターから放り出されたような感覚で、「だまされた!」と机を叩く人もいるかもしれないが、これまたきちんと伏線は張られている。計算ゼロの大暴走に無理やり解決をつけたわけじゃないことは、読み返してみればすぐわかるはずだ。

 それにしても、やりたい放題のかぎりをつくした本書のすぐあとに、今度はものすごく緻密にサプライズを仕掛ける(いろんな意味で本書とは正反対ともいうべき作風の)『ラバー・ソウル』をしらっと発表するのが井上夢人らしいところ。次にどんな世界を見せてくれるか楽しみだ。願わくは、あまり長く待たずに済みますように。
 

(書評家・翻訳家)