「突然変異」――人類の終わり、あるいは進化のはじまり
講談社 小説現代編集部 北村文乃

 私が井上さんの作品(当時は岡嶋二人でした)と出会ったのは、中学生の頃でした。当時の私は、単なるミステリー小説好きの洟垂れ小僧で、当然、将来編集者になるとはつゆ思わずにいました。はからずも講談社に入社し、希望していた文芸局に異動したときには、歓喜のあまり小躍りしたほどです。これで好きな作家と仕事ができる! と夢のような転機でした。すぐさま私は、井上夢人さんをロック・オンしました。まずは挨拶を兼ねてショート・ショートの原稿を、次に短編小説を、ついには連載小説をという具合に、じわじわと詰め寄っていきました。そして結実したのが今作『魔法使いの弟子たち』です。まさかそれが、九年ぶりの超大作になるとは思ってもいませんでした。

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 生物の進化には必ず「突然変異」がつきまといます。捉え方によっては、生物学上のみならず、精神医学的にも何かをきっかけに新たな人格の形成、ある出来事を引き金に起こる精神的変化も「突然変異」といえるかもしれません。常に人間は進化し変容、変貌を続けているのです。これまでも予知能力や透視能力、サイコキネシスなどを備えた超人類を扱った物語は数多くあります。ですが、『魔法使いの弟子たち』は、それらとはアプローチの方法がまったく異なります。特殊な能力を与えられた登場人物たちが運命に翻弄されながらも、人としてどう生きるか、人として何をすべきかを考える、ふつうの人間たちの物語です。しかもそれは、ありえない絵空事ではなく、起こり得るかもしれない現実――だれもが可能性を否定できない世界を紡いでいるのです。

 物語は、山梨県内の病院で院内感染が発生した場面から始まります。致死率が100%に近い未知のウィルス「ドラゴンウィルス」の脅威が人々を襲います。次々と感染症患者が死亡していく中、意識を取り戻したのはたったの三人だけ。生き残りとして医療チームの研究対象に置かれた彼らは、隔離生活を続けるうちに「後遺症」による不思議な能力を身につけていることに気づき始めていき……。

 グローバル・パンデミックの恐怖はもちろんのこと、それにも増して、特殊能力を持つ彼らを追い詰めていく人間の負の感情――理解できないものへの拒絶、差別や偏見――の筆致は、リアリズム以外のなにものでもありません。井上さんの真骨頂です。
 それは、これまでの作品にも見事に表れています。パソコンが一般家庭に普及する以前に描いた『99%の誘拐』、ヴァーチャル・リアリティという言葉がない時点での傑作『クラインの壺』、コンピューター・ウィルスを扱った『パワー・オフ』まで、数年後までだれも知り得ない未知の世界を起こり得る事象として捉え、だれよりも早く予見し、リアリズムで構築していく。その力量はまさに脱帽ものです。時代が作品に反映されるのではなく、作品が時代に反映されている。現在という時代が、井上さんの物語を追いかけていくのです。井上さんの想像力は、物語を創造する「突然変異」ともいえます。ジャンルの枠にとらわれない作品を多く発表し、荊の道を行く。それが先駆者といわれる所以なのかもしれません。

 本作は、「小説現代」2008年5月号から2009年11月号に掲載されたものです。締め切り前になると、必ず井上さんからお電話やメールをいただくのですが、「はじめまして井上夢人と申します」であったり、「だめだこりゃ」であったり、「書いたり消したり、書いたり消したり……思わず自分に、お前はワイパーか!とツッコミを入れたくなります」と、あの手この手を使った「締め切り延びませんかお願い」を、焦りながらも毎月楽しみにしていた自分がいます。九年ぶりの超大作、皆様、ぜひご一読ください。
――あなたも「魔法使いの弟子」になるかもしれません。