Junkyard

 

2017/01/21

潮 2002年8月号

井上夢人 雑文

そうだ、京都へ行こう ── 井上夢人

 雪や雨でなければ朝の散歩が習慣になっています。6キロ余の山道を1時間10分ほどかけて歩きます。
 その習慣が始まったころのエッセイがありました。散歩のはじまりです。15年ほど前のことでした。

 
 
そうだ、京都へ行こう
              井上夢人

 放って置かれれば、1日中パソコンの前に座っているような生活をしている。多くの人は長時間部屋に閉じ龍もっていたりすると無性に身体を動かしたくなったりするらしいのだが、僕の場合じっとしていることが苦痛ではない。困ったことだ。
 カリガリに痩せていた身体が、この2、3年でぷくぷくと脂の乗った体型に変化してきた。肉がついたのではない。運動もしないのにそんなものがつくわけはない。下腹のふくらみや、顎の下のたるみは、明らかに脂肪以外の何ものでもない。2年半の間に15キロ近くも太ってしまったのだから、そうとうなものである。
「みっともない」
 と言い放った妻は、とうとう実力行使に出た。犬の代わりに、僕を散歩に連れ出すことにしたのだ。首に縄をつけられているわけではないが、似たようなものだ。
 僕たちは八ヶ岳の南麓に住んでいる。家は山の中にあり、周囲は森である。当然、すべての道には傾斜がついている。そこを歩くのはかなりきつい。登りもきついが、歩き慣れない者にとっては下りだってやはりきつい。
 だいたい、ずっと運動などしていないのだ。足はもうずいぶん前から自分の役割を放棄している。ほんの少し歩いただけで、膝から下が重くむくみ始め、扁平な足の裏がギシギシと痛んでくる。たまに東京などへ用事で出かけたりすると、腓返りを起こす足のために夜中に何度も悲鳴を上げながら目を覚ますような、そんな貧弱な足なのである。
 雨が降ると散歩に行かなくていい言い訳ができるが、妻は「レインコート着ていく?」などと小癪なことを言う。手強い。雨の散歩は、さらにきつい。
 せめて何か励みになる演出でも、と考えて万歩計を購入した。いや、もともと万歩計なら引き出しの中にも1つ入っている。健康保険組合から10年も前に支給されたもので、1日だけ腰につけて生活してみた。その結果は、なんと200歩程度だった。10分間の歩数ではない。1日のトータルなのである。なにせ食事のために居間へ移動することと、トイレや風呂以外はずっと座りっぱなしなのだ。5桁の液晶表示は、僕の場合3桁しか必要なかった。あまりにばかばかしくて、1度使っただけで引き出しに放り込んでしまった。
 それをもう1つ買ってきたのは、その万歩計が「東海道五十三次」という名前のものだったからだ。歩いた歩数を距離に換算し、それで日本橋から京都までの東海道をどれだけ移動したかという形で表示してくれる。散歩の時だけこれを腰につけていくことにした。
 3日目に品川の宿を通過し、1週間弱で川崎の宿に到達した。宿場に辿り着くと、万歩計がピピピピと音を出して知らせてくれる。なんだか嬉しい。
 もちろん、1日1時間程度の散歩だし、運動と言うよりもぶらぶらと山の中を散策しているような歩き方だから、ぐんぐん距離が伸びるわけではない。その万歩計をつけはじめてからようやくひと月ほどになるが、現在歩行距離は90キロをやっと超えたばかりだ。小田原を過ぎて、箱根に向かっているところである。日本橋から京都までは493.7キロだそうだから、まだまだ先は長い。
 不思議なもので、こんなことで散歩がちょっと面白くなってきた。気持ちにゆとりが出てきたものか、周囲の景色や足下の草花、鳥や小動物や昆虫などにも目が向くようになった。自然はそれこそ毎日変化し続けている。小川の水嵩が変わると、木々の輝きも変化する。木の枝に昨日までなかった新芽を見つけたりすると、それだけで豊かになったような気分にさせられる。
 この程度の運動では、それで脂肪が落ちるところまではいかないけれど、なんとなく散歩の時間を待ちわびる犬の気持ちがわかってきたような気もするのだ。