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2017/01/05
井上夢人 雑文

ハイパーテキスト小説への期待(2) ── 井上夢人

 さてさて、堅い調子の第2回です。

 
 
ハイパーテキスト小説への期待(2)
                                     井上夢人

(承前)
 いま私は、ゲームブックが従来の小説とは異なった性格を持っていると書き、小説の基本的なルールを無視していると書いた。しかし、その小説の持つルールとはどのようにして確立されたものなのだろう。
 現在の小説は「記載文芸」と呼ばれる表現形式の1つだが、この記載文芸の前身は言うまでもなく「口承文芸」だった。語り伝え、歌い伝えられた神話や民話は、現在も世界各地に残されている。
 興味深いのは、神話や民話にはかなり多くのバリエーションが存在しているということだ。長い年月をかけて語り伝えられるうちに、語り手によって物語には装飾が加えられ、あるいはところどころが省略され、その土地特有の登場人物やエピソードが挿入されることによって、それは様々な変種を生み出すことになったのである。
 おそらく、語り部はその時々によって語り口を変え、聞き手の要求に応えるようなアドリブを加えていったに違いない。ときには、物語の展開自体を入れ替えるような工夫もなされただろう。文字がまだ一般的でなかった時代には、文芸作品とは形の定まらぬ自由なものであったのだ。
 文字の発明は、この文芸に大きな変化をもたらした。記載文芸が誕生すると、物語は超人的な記憶力の持ち主を必要としなくなった。しかし、とは言っても、15世紀の半ばまで、記載文芸は文字を使うことを許されたエリートたちのためだけに存在する貴重なものでしかなかった。それが、グーテンベルグが印刷機を発明したことによって、劇的に性格を変えることとなる。
 印刷という技術、そしてそれに続く製本技術は「本」というメディアを生み出した。小説は、大量生産できる商品になったのだ。
 その革命は「職業作家」という人間をも作り出す。より面白い作品の創出が求められ、小説の創作技術にも磨きがかけられる。そして、現在に至るまで、その流れは途切れることなく続いている。
「本」の登場は、小説に大きな進歩をもたらし、必然的にそのメディアの制約によるルールを持つことにもなった。それが〈あらかじめ作者によって決められた物語を、順序よく読み進む〉という小説の基本ルールとなったのだ。
 文章の書かれた紙に製本を施せば、その物語は動かしがたいものになる。製本をバラバラに壊し、自分の好きなようにページを並べ替えるなどという作業は誰もしない。小説は、作者が書き終えたとき、その形を固定されることになった。
 もちろん、その「本の」発明が、現在の小説をこれほどまでに高度なものにしたということに、疑う余地はない。しかし、同時に、小説は以前口承文芸が持っていたものを失うことにもなったのではあるまいか。
 ある意味で、ゲームブックは、意識されたものではなかったにせよ、その小説が失っていたものを取り戻す試みでもあったのではないかと、私は考えたのである。

 しかし当然、ゲームブックは誰からも「小説」とは呼ばれなかった。12年前に私が書いたものも、いくつかの書評に取り上げられはしたものの、その扱いは作家の「余技」と受け取られたにすぎなかった。
 しかし、私自身は、ゲームブックを書くことによって味わった興奮を一時的な「余技」で終わらせたくないと考えていた。確かにゲームブックは、小説と呼ぶにはあまりにゲームの方へ偏りすぎていたし、だいたいひどく面倒な読み物だった。読者の「労力」は、次のパラグラフを探し求めることにその多くを費やされ、小説を読んでいるという感覚とはほど遠いものでしかなかったからだ。
 ただ、1つ1つのパラグラフがそれぞれ複数の分岐を持ち、読者の選択によって読み進む方向が変化するというゲームブックの構造は、人の思考の構造に似通ったものがあるのではないかという感触を、私は強く持っていた。
 人は、小説を読むような形では、ものを考えない。小説は、分岐点のない1本道のような構造で作られている。作者の用意した道の上をひたすらゴールに向かって歩き続ける。つまり、小説は1次元の構造で成り立っているのである。
 だが、人間の思考は、いたるところに分岐点を持っている。Aのことを考えている途中でBというアイデアが浮かび、そのアイデアのはっきりした形が見えないうちにCに連想が飛ぶ。思考が途切れ、ふたたびAを考えはじめる。まことに秩序を欠き、落ち着きがない。しかし、だから考えはゴールに至らないかと言えば、必ずしもそうではない。そんなほとんど行き当たりばったりのような思考から、私たちはある結論を導き出したりするのである。
 そういった構造を持った小説が書けないものだろうかと、私はずっと考えていた。読者の気のおもむくままに進む方向を変え、小説自体が形を変化させていく。そんなダイナミックな構造の小説が実現できないものかと思っていた。
 それを可能にする予感を与えてくれたのが、ハイパーテキストという概念だった。

(続く)