Junkyard

 

2016/12/29
井上夢人 雑文

視点の方法(3)── 井上夢人

 第3回は「視点による叙述法」について。

 
 
視点の方法(3)
          井上夢人

(承前)
■視点による叙述法
 簡単な例文を考えてみましょう。まずは、視点が考慮されていない文章です。

 知也は湯呑みを覗き込み、顔を上げた。小さく息を吐き出し「よっこらしょ」と言いながら立ち上がった。部屋の隅のテーブルヘ行き、お茶を淹れはじめた。

 これを、視点を考慮して書き換えてみます。

 知也は湯呑みの中を覗き込み、私のほうへ目を上げた。私が知らん顔をしていると、ふう、と肩を落とし、よっこらしょ、とロに出して立ち上がった。部屋の隅のテーブルヘ行き、自分でお茶を淹れはじめた。

 視点によって加えられたものがおわかりでしょうか。視点は「私」にあります。ですから「知也」の行動は、すべて「私」から見たものとして描写されています。
 視点がもたらしたものは、ただ単に「私」の存在だけではありません。浮かび上がってくるのは「知也」と「私」との関係です。なにより、裏に隠されているはずの「知也の視点」までが、描写の中に込められています。
 お茶を淹れてくれないかなあ……という「知也」の心情と、それに気づきながら無視する「私」。やれやれ、と思っている「知也」の気持ちが、読者に伝えられます。
 もちろん、お茶を淹れてほしいと思っているかどうかは、知也の視点で描かれていない以上、確かなものではありません。それは「私」が思っていることなのです。「そんなの、勝手に自分で淹れなさいよ」という気持ちがあるからこそ、「私」は「知也」の仕草の中に彼の心情を見てとります。
 例文中の「〈口に出して〉立ち上がった」や「〈自分で〉お茶を淹れはじめた」に注目して下さい。裏の視点から発せられたものが、表の視点のフィルターによって変換され、〈口に出して〉〈自分で〉という言葉を付け加えたのです。
 自分を棚に上げ、理想的なことを言えば、小説家は名優であるべきだと、僕は思います。ありとあらゆる役になりきれる人間が、最強の小説家となるでしょう。男も、女も、子供も、老人も、そしてあらゆる職業、あらゆる環境の中で生活している人々──そのいずれの人物にもなりきってしまうことは、小説家にとって大きな武器となります。
 当然のことですが、視点によって文章を綴るときの基本は、そこに登場するそれぞれの人物になりきった書き方をするということです。まったく同じものを見ても、人が違えば、見方が変わってきます。
 単純に言えば、子供の視点で書く場合は、目の高さを自分の腰のあたりに置く必要があるのです。その高さから見れば、当然、見えるものも違ってきます。机の上のものはよく見えず、逆に机の下は大人よりもよく見えます。自分の目の高さより下にあるものに興味は集中し、さらに動きの速いものに目を奪われます。
 また、同じ人物の視点でも、置かれている状況によって書かれ方は変化するでしょう。車に乗っているときと、歩いているときでは、周囲のものは違って見えます。宝くじに当たったときと、失恋したときでは、時計の文字盤でさえ違った見え方をするだろうと思います。
 繰り返しますが、読者に対して、どのように小説を提示するか──それを決定するのが視点なのです。そしてそれは、読者をどれだけ小説の中へ引き込むか、ということにも通じます。

(続く)