Junkyard

 

2016/12/28
井上夢人 雑文

視点の方法(2)── 井上夢人

 第2回は「視点の把握」について語ります。

 
 
視点の方法(2)
          井上夢人

(承前)
■視点の把握
 小説には、そこに登場する人物の数だけ視点が存在します。場合によっては、人間だけでなく、犬や猫、庭に生えている巨木などにも視点を付与することだってあります。それが最終的に「一人称一視点」で描かれることになる小説であったとしても、視点の数は1つではありません。まず、すべての視点を洗い出し、列挙することからはじめましょう。
 たとえば、この「お化け煙突の謎」には、A、B、C、D、という4つの被害者の視点と、犯人の視点、そして刑事という6つの視点が存在します。この他にも、刑事の同僚や上役、被害者それぞれの家族、犯人が住んでいるアパートの大家さん、刑事がよく立ち寄る喫茶店のオーナーとウエイトレスなど、様々な視点を列挙することができます。そして、それらの視点は、すべて役割を持っています。
 ここで言う役割とは、あくまでも小説上での役割のことです。Aという視点は、煙突が1本だったという事実を読者に告げるという役割。犯人は、もちろん不可思議な謎を持つ犯罪を演出する役割。刑事は、それが謎であることを読者に知らせ、その謎を解くプロセスを示すという重要な役割を持っているわけです。
 では、喫茶店のウエイトレスは、この小説にとってどんな役割を持っているのでしょうか。もしかすると、意外にも、彼女は謎を解くヒントを刑事に与えるという役割を持っているのかもしれません。彼女がテーブルの上に並べたアイスコーヒーのグラス。グラスのそれぞれに挿されたストロー。そのストローの配置が、刑事に何かのインスピレーションを与え、彼は大声を上げて椅子から立ち上がり、ウエイトレスに「ありがとう」と告げて店を飛び出す。もちろん、彼女には、どうして礼を言われたのか、まるでわからないのですが──だとすると、このウエイトレスは、小説にとってかなり大切な役割を持っているということになります。
 視点にはすべて役割があります。重要度に違いはありますが、それぞれが小説には不可欠な視点です。その視点が、事件解決に関わっているかどうかは関係ありません。僕は「リトマス」と呼んでいるのですが、ある登場人物の性格を引き出すためにだけ存在する視点も、やはり重要です。主人公の性格がずぼらであるという印象を補強するために、その傍らに几帳面な人物を配するといったことを、僕はよくやります。几帳面な彼は、主人公の性格を読者に伝える役割を持っているわけです。
 もうお気づきのことでしょうが、これは登場人物を把握するという作業です。〈視点〉を取り扱うためには、作者は作品に登場するすべての人物を把握しておく必要があります。
 もちろん、実際には、原稿を書いているときに計画にない人物が追加されるようなこともよくあります。逆に、ある人物の登場が取り消されてしまったり、人物設定が大きく変わるようなことも珍しくはありません。しかし、執筆中に起こる変更は、当然、その変更を行なう必要性が作者にわかっているからこそなされるものです。登場人物の役割がすべて把握されていることに、違いはありません。

■表の視点と裏の視点
 小説の登場人物は、全員がそれぞれの視点を持っていますが、小説はそのすべての視点から描かれるわけではありません。
 登場人物が把握できたら、次にしなければならないのは、数多くの視点のうち、どの視点を小説の表に出し、どの視点を裏に隠すかを判断することです。表に出す視点──つまり、どの視点の上に小説を座らせるかを決めます。小説を誰の視点から描くか、それを決めるのです。
 このときに意識しておかなければならないのは、それ以外の視点は捨て去ったのではない、ということです。裏に隠しただけです。「一人称一視点」の小説とは、たった1つしか視点がない小説のことではありません。小説を書く場合には、それを常に意識している必要があります。そのために、前段で、すべての登場人物を視点として把握する作業を行なったのです。
「お化け煙突の謎」に戻りましょう。
 この場合はまず、刑事の視点で描くのがいい、と誰もが直感するだろうと思います。謎を抱えて頭を悩ませることになるのが刑事なのですから、その彼に視点を置いて物語を進めていくのが、最も適しているでしょう。
 ただ──ちょっと立ち止まって考えてみます。
 A、B、C、D、のそれぞれの視点も考慮したほうがいいんじやないだろうか……と。
 なぜなら、煙突の数が「1本だ」「いや2本だ」という彼らの証言が嘘に読まれてしまっては、謎の効果が半減するんじやないかと思われるからです。

「部屋に窓は1つしかなかったんです。4畳半ぐらいの狭い部屋ですけど、一方の壁だけ、上のほうに明かり取りの窓みたいなのが、こう、ついてて。上下の幅は30センチぐらいかなあ。横に長い……そうです。その窓から見えるのは、煙突3本だけしかなかったんです。空と、3本の煙突だけ」

 という言葉は、嘘を言っているという読み方も可能ですが、

 差し入れられたカップラーメンの汁を1滴も残さず啜り終え、空になった発泡スチロールの容器を見つめた。不意に、ちくしよう、という言葉が漏れた。容器を思い切り壁に向かって投げ捨てた。1滴も残さずにラーメンを食べた自分が、負けを認めてしまったように思えて、無性に腹が立った。
 壁の上部を横切っている細長い明かり取りの窓へ目をやる。3本の煙突だけが、真っ青な空を縦に区切っていた。それしか見えるものはない。いくら背伸びをしてみても、煙突の根元がどうなっているのか、想像することさえできない。

 といったシーンが描かれていれば、彼の体験は、疑われることなく読者に伝えられるでしょう。
 ただ、A、B、C、D、それぞれの視点を表に出すかどうかというのは、小説にとって重要な岐れ道となります。
 当然のことながら、それぞれの視点を使って章を組み立てた場合、そこではかなりのページ数を費やすことが想像されます。少なくとも、4人の証言のみで組み立てた場合よりも増えてしまうのは明らかです。これが、もっと複雑な構造を持っている小説で、この後にも重要な展開が控えているようなものであるなら、ここで枚数を消費することが許されない場合も多いでしょう。
 そして、なによりも、4人それぞれの視点を表に出してしまうことが、その小説で読者に伝えたいことを邪魔してしまう場合だってあるわけです。
 たとえば、4人の証言のみで物語を進行させ、1度は、それぞれの言葉を刑事に疑わせるという展開もあるでしょう。1人は本当のことを言っているが、あとの3人は嘘を言っている──そう思い込んでいたものが、ある時点で覆ります。4人とも嘘は言っていなかった。では、なぜ、煙突の数が違っているんだ……? そのような展開なら、4人それぞれの視点を表に出すことは逆効果となってしまいます。
 どの視点を表に出し、どの視点を裏に隠すか──小説をまったく違った形に変えてしまうものであるだけに、熟考の上で決定しなければなりません。
 小説は、表の視点から描かれることになります。ただ、それでも裏の視点が捨て去られることはありません。表の視点で描かれる物語の中に、裏の視点は巧妙に潜り込んできます。それは、叙述の技法と密接な関係を持っています。

(続く)