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2016/12/26
井上夢人 雑文

ヒッチコック映画のカメラワーク(3) ── 井上夢人

 そして最後。
 第3回です。

 
 
ヒッチコック映画のカメラワーク(3)
                                     井上夢人

(承前)
 しかし、作品自体の評価は別にして、やはり僕はこの『ロープ』に、その後のヒッチコックの映画に対する貪欲さを大きく感じてしまうのだ。
 なぜなら、1本の映画を丸々ワンカットで作ってみたいという気持ちは、ヒッチコックでなくても、映画の監督なら1度や2度は心の中に現われるものではないかと思うのだ。でも、普通の監督は、まずやらない。いや、やりたくてもできない。
 アンディ・ウォーホールのフィルム作品に、何本かワンカットのものが存在する。しかし、それは固定したカメラで、ただただひたすらエンパイアステートビルを撮影したものや、寝ている男を一晩中撮影し続けたものである。いわゆるコンセプト映画と呼ばれる類のものだ。
『ロープ』は違う。刺激がほしかったというだけの理由で殺人を犯した2人の青年が、ホームパーティを開き、死体の入ったチェストの上に料理を並べて、話に興じてみせる。その犯人たちの心理を見せながら観客をハラハラドキドキさせるというサスペンスドラマなのだ。
 そこでは、普通の映画を作る何十倍もの計算がなされ、神経が使われる。役者たちにしても、カメラのフィルムが途切れるまでの10分間、よどみのない完全な演技が要求されるのである。何度もリハーサルを繰り返し、カメラの動きや俳優たちの動き、セットの位置やら照明の具合など、あらゆるところが綿密なプランで埋められていなければならない。とてもじゃないが、おいそれと作れるものではない。
 では、ヒッチコックは、そこまでして、なぜ『ロープ』をワンカットで撮ったのだろうか。
 想像するに、理由は実に簡単だ。
「やってみたかったから」
 たぶん、この想像はあたっていると思う。
 その後の傑作で使われることになる驚異的なカメラワーク──たとえば『鳥』でなされた鳥による主観撮影(空撮)とか、『サイコ』で私立探偵が殺害されるシーンで使われた階段での見事な移動ショットとか、『フレンジー』で2階のドアからトラックバックしたカメラが、通りの向こう側へ渡り犯人と被害者のいる建物の全景を映し出してしまうカットなど──それらは確かに、この上ない効果を映画に与えているのだけれど、やはりそれも「やってみたかったから」だったのではないかと思う。
『トパーズ』でストーリーの進行とともに、まるでしりとりのように主人公がバトンタッチされていく際のつなぎのカメラワークなど、監督自ら「このアイデア、いける!」とほくそ笑んでいるのが目に見えるようではないか。
 そういったことの、最初のひと突きが『ロープ』をワンカットで撮るというものだったのではないかと、僕は思うのだ。
 なぜなら、僕たちミステリーを書いている人間も、しょっちゅうそういう経験をするからだ。僕などは、ヒッチコックの映画に使われているカメラワークを文章で再現しようとして、何度失敗しているかわからない。いくら失敗しても、またやってみたくなるのがヒッチコックなのだ。