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2016/12/25
井上夢人 雑文

ヒッチコック映画のカメラワーク(2) ── 井上夢人

 昨日の続き。
 第2回です。

 
 
ヒッチコック映画のカメラワーク(2)
                                     井上夢人

(承前)
 ヒッチコックという監督は、僕に言わせると恐ろしく貪欲な男だ。目的を達成するためには、いかなる手段を用いることにも躊躇しない。乱暴かもしれないが、節操がなかったと言ってもいいかもしれない。
 そのヒッチコックの貪欲さが最初に現われた実験的な映画が『ロープ』ではなかっただろうか。
 現実の時間と映画の中の時間が同時に進行するという有名な西部劇『真昼の決闘』はフレッド・ジンネマンが1952年に作りアカデミー賞をいくつも獲得した傑作だが、その4年前の1948年、ヒッチコックは『ロープ』を撮っていた。
 映画は1時間半あまりのものだが、その映画の中で描かれるドラマも1時間半あまり。『真昼の決闘』では、数多くのシーン、数多くの人物が登場するが、『ロープ』では舞台はあるアパートの1室のみ、人物も8人程度しか登場しない。そして、この映画における最大の実験は、その1時間半あまりがワンカットで撮影されたということだった。
 カメラは、部屋のいたるところへ移動しながら登場人物たちの動きや表情やセリフを捉えていく。しかし、それは映画の最初と最後に添えられたタイトルバックのための別カットを除いて、すべてひと続きの連続した映像なのだ。最後のタイトルが現われるまで、カメラが別のカットに切り替わることは1度もない。
 もちろん、これはまだビデオなど登場しないフィルムの時代に作られたもので、カメラの中にセットしたフィルムは10分程度しか連続撮影を許してはくれない。だから、正確には「ワンカット」ではないのだけれど、そのリールとリールの境目は、よほど注意して観ていない限り気がつかないほどスムーズにできあがっている。具体的には、リールの境目にくると、カメラはある人物の背中に接近し、一瞬画面を背中全体で黒く塗りつぶす。カメラは、そのまま背中をなめるようにして移動していくのだが、その一瞬がリールを交換した場所なのだ。
 こういう映画の作り方を意識的にやった監督は、もちろんヒッチコック以前にはいなかった。意識的にと断ったのは、黎明期の映画にはそもそもカットつなぎという概念すらなく、映画はすべてが数分のワンカットものだったからだ。
 この『ロープ』は、ヒッチコックの数々の傑作作品に加えられることはほとんどないし、作品自体の出来からしても凡作という感覚は否めない。試みられた「ワンカット」という手法も、この映画が取りうる唯一の途だったとは思えない。これは、おそらくヒッチコックがどうしてもやってみたかった「実験」だったのだろう。

(続く)