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2016/12/25

アサヒグラフ別冊 1999年11月

井上夢人 雑文

ヒッチコック映画のカメラワーク(1)── 井上夢人

 アルフレッド・ヒッチコックは、僕にとってある意味師匠のような存在です。(もちろん私淑しているだけですが)
 そのヒッチコックについて書かせてもらったことがあります。アサヒグラフという雑誌の別冊特集号だったのですが、島田荘司、山口雅也、折原一、有栖川有栖、由良三郎、辻真先、山崎洋子、泡坂妻夫、法月綸太郎、和久峻三、伴野朗、黒川博行、佐々木譲、阿刀田高……といった執筆陣の顔触れを見てもなかなか充実したものに仕上がっていたと思います。
 若干長めのエッセイですので、3つに分けて載せることにします。
 今日はその第1回目。

 
 
ヒッチコック映画のカメラワーク(1)
                                     井上夢人


 たとえば、あまりに衝撃的で有名なグレース・ケリーのシーン。
 殺人者に背後から首を絞められながら、彼女は必死でデスクの上を手探りする。その手が、スクリーンを突き破るかのように観客に向かって伸ばされ、ハサミをつかむ。そして、そのハサミを背中に突き立てられた殺人者が床に倒れ込むとき、彼は背中から仰向けに倒れ、自分の体重によって刃先を奥深くえぐらせてしまうのだ。
 この『ダイヤルMを廻せ!』は、もともと3D映画として製作された。残念ながら、この立体映画版を僕は観ていない。しかし、その後でニュープリントされた平面版(妙な表現だ)でも、その立体感は観客の背筋を凍らせた。
 ヒッチコックは、ハサミのカットではカメラをデスクの表面ギリギリに据え、殺人者が倒れ込むカットではわざわざ床を掘ってレンズの位置を床面まで引き下げた。それが衝撃的な映像を産んだ。これが──1954年の作品なのである。
 僕が何度も繰り返してヒッチコック作品を観るのは、そのカメラワークに酔いたいがためだ。カメラワークを、サスペンスを最大に演出するための武器として使った最初の映画監督が、アルフレッド・ヒッチコックである。
 この時代に、3D映画を作ってしまうというのも恐ろしい。赤と青の色つき眼鏡をかけて観るというあれだ。僕が生まれて初めて観た3D映画は、小学校に上がるか上がらないかのころ母親に連れられて行ったもので、正確なタイトルは忘れてしまったが「蝋人形館のナンタラカンタラ」というような三流ホラーだった。ただひたすら画面からものが飛び出して見えるというびっくり映画で、びっくりさせられた記憶はあるけれど、内容などなに一つ覚えていない。
 だいたい、その時代の3D映画というのは、ほとんどすべてがその類の脅かし作品だったのだろうと思う。しかし、ヒッチコックはそんなキワモノ映画のための技術を使って『ダイヤルMを廻せ!』を撮ったのだ。
 ヒッチコック作品は、すべてが実験精神に満ちている。驚異的なのは、その実験がどの映画を観ても単なる実験だけに終わってはいないということだ。まるで数十年前から使われてきた常套テクニックであるかのように、ヒッチコックはきわめて前衛的な実験を映画の中に自然に滑り込ませてしまう。
『めまい』では、高所恐怖症の主人公の心理を表わすために、トラックバックとズームアップを同時に使用し、レンズの画角の変化を利用して、被写体の奥行き感を連続的に移動させるということをやっている。現在は、誰もが使いすぎてしまって、めずらしくもなんともないものになってしまったが、僕の知る限りではこのテクニックは『めまい』で初めて使われた。
 また『知りすぎていた男』の最後のクライマックスシーンでは、カメラのレンズは執拗に五線譜をトレースする。ロイヤル・アルバート・ホールでその日演奏されている曲には、一箇所だけシンバルが打ち鳴らされる箇所がある。その音楽が最高潮に達した瞬間を利用して暗殺者による狙撃が行なわれようとしているのだ。つまり、楽譜上のシンバルのパートには、一箇所しか音符が書かれていない。レンズは、その無音の五線譜をトレースしていく。観客にも、そのたった一つのシンバルの演奏箇所が見えている。まるで、導火線を走る火を追っているような感覚にとらわれる。楽譜でサスペンスを盛り上げるという演出も、前代未聞だった。

(続く)