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2016/12/22

IN★POCKET 2012年8月号

井上夢人 雑文

30年前の乱歩賞原稿のこと ── 井上夢人

 岡嶋二人の『焦茶色のパステル』を新装版としてリニューアルしていただくことになったときに文庫雑誌「IN★POCKET」に書いたものです。
 むろんこの作品は、江戸川乱歩賞受賞作、デビュー作ですから、一番の思い入れがあります。執筆当時、僕の奥さんの趣味が彫金で銀の板を叩いたりしていたので、主人公の職業が宝飾デザイナーになったということも、思い出すと映像まで浮かびます。そういう気持ちを載せたエッセイになりました。

 
 
30年前の乱歩賞原稿のこと
                 井上夢人

 これは30年も前に書かれた競走馬のミステリーです。競馬場の観客を興奮させているあのサラブレッドたちの話です。
 でも小説中、馬がトラックを走ることは1度もありません。競馬場が出てくることすらありません。レースの結果に一喜一憂するファンも登場しません。ですから馬券が空を舞うこともありません。
 これは、サラブレッドを取り巻く人々のミステリーです。
 我々人間にとって、サラブレッドは愛玩用のペットではありません。〈経済動物〉です。大きなお金を動かし、社会に多大な経済効果をもたらしてくれる動物です。だから、サラブレッドは投資の対象となりますし、そこには大儲けする人や大損する人が出てくるのです。
 30年以上前、僕は相棒の徳山諄一に、訊ねたことかあります。
「レースは、人間がやらせてるんだよね。馬が1着になりたいとか思ってるわけじやないだろ?」
 徳山は首を竦めて僕を見返しました。
「賭け金や配当はともあれ、馬自身も先頭を走りたいと思ってるよ。馬はそもそも肉食動物にとって餌だからね。脚が速ければ生き延びられる。そして、先頭を走る馬が、その群れのボスでもある。本能的にも彼らは1着になりたいんだ」
 徳山諄一という友人と2人で、この小説を書きました。徳山は競馬をこよなく愛していましたが、僕のほうはまるでなにも知りませんでした。だから、僕は、彼から競馬に纏わる話をたくさん聞きました。徳山自身が、最大の取材源でした。
 実際の育成馬や、彼らが生まれ育った牧場を見たいと思っても、旅費も宿泊費もない僕たちには図書館や本棚が許された取材先でした。特に、競馬ファンの徳山が買い続けていた日本中央競馬会発行の「優駿」という雑誌は、様々な知識や小説へのヒントを与えてくれました。『焦茶色のパステル』も、その雑誌の1ページから発想が膨らんだのだと記憶しています。僕は雑誌に載せられた写真を凝視し、牧場を描写しました。
 昔の日記を開くと、僕が徳山と江戸川乱歩賞に挑戦することを決意したのは1975年9月20日でした。この時、徳山は32歳、僕は24歳でした。
 この1975年に、アメリカではビル・ゲイツという青年が友人とマイクロソフト社を設立し、翌年にはスティーブ・ジョブズという青年が友人とアップルコンピュータ社を設立しました。この時代、べつに友人と何かを始めることが流行っていたわけではないと思うのですが、僕と徳山は推理小説を書いて江戸川乱歩賞に応募しようと決めたのです。ニール・サイモンの戯曲『おかしな二人』のタイトルをもじって〈岡嶋二人〉というペンネームをでっち上げることまでしました。
 言うまでもなく、僕たちのその決意はとんでもなく無謀でした。
 小説を書いたことなど1度もなく、才能の欠片もなかった2人が、いい加減な情報によって膨らませた妄想にしがみつこうとしたのですから。僕たちの挑戦は幾度も撥ね返され、踏み潰されました。
 結局〈岡嶋二人〉の誕生は7年後、4回目の投稿を待たなくてはなりませんでした。
 1982年──僕はその時31歳になっていました。
『焦茶色のパステル』の新装版を作っていただけることになって、僕は久しぶりに当時の執筆メモを取り出してみました。すっかり忘れていたボツ原稿がメモの間に挾間っていました。
《──1つの確信がある。隆一は芙美子が好きだったのだ。ある時、彼は蹄鉄の形のペンダントを作ってもらえないかと、私を訪ねて来た。女性にプレゼントしたいのだと、彼は言った。私がその時に作ったペンダントは今、誰に贈られることもなく、隆一の机の抽斗に仕舞われている。そのことを咎めると、表情1つ変えず「あれはお前に近づくための口実だった」と彼は言った。信じられないほど、下手糞な嘘だった。──》
 今なら、登場人物たちの関係を整理し、もう少し練り込むことによって、このアイデアを生かすことができたかもしれません。しかし30年前の僕は、不要なエピソードだと判断して、この部分を棄てたのですね。
 今の僕には、こんなボツ原稿でさえ、懐かしいものに変わっているのでした。