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2016/12/02

週刊文春 1982年11月18日号

岡嶋二人 雑文

マイアミ沖殺人事件 ── 岡嶋二人

 書評というものは、岡嶋時代も井上夢人になってからもほとんど書いていません。苦手なのです。他人様の作品を評するにはあまりに知識が足りず、読書の量も少ないので、僕には荷が重すぎるのです。これはデビューして間もないころに書いた本の紹介文です。(書評ではありません。紹介しているだけです)
 編集部が指定したものがイタズラっけのある面白本だったので、引き受けてしまったのだと思います。

 
 
『マイアミ沖殺人事件』
D・ホイートリー著 J・リンクス原案
      土屋政雄訳 中央公論社刊

                    書評 岡嶋二人


 2800円というこの本につけられた値段を高いとみるか、安いとみるかは、読者の好みと遊び心によるだろう。読書はダイジェスト版が一番と考えておられる方には、この本は薦めない。これは、読者自身の参加があってはじめて、本当の面白さが味わえる本だからである。
 逆に言えば、知的な遊びを常に探し求めている人にとっては、これは最高のご馳走に値するのではあるまいか。とにかく娯しませてくれる本である。
 静かな冬の休日、別荘の暖炉に火を入れ、揺り椅子に腰を下ろし、ブランデーを片手にページを繰る──なんてことを想像しながら、土曜の夜、炬燵に足を突っ込んでミカンの皮でも剥きながら、読んで欲しい。
 謳い文句に「世界で初めて企画された捜査ファイル・スタイルの推理小説」とある。つまり、捜査本部に集められた「マイアミ沖殺人事件」の捜査資料一切合財が、この本の中に「現物のまま」ファイルされているのである。
 事件発生直後に船室内で撮影された現場写真がある。被害者が殺される前に書き記した肉筆の手紙がある。血痕のついたカーテンや、櫛に残されていた毛髪、マッチの燃えさしなどは、証拠品として採取されたそのままの形で、つまり「実物」が収められている。電報も、破り取られた手帳の1ページも、犯罪者記録カードも、すべて紙質まで「本物」だ。
 この本は、これらすべての捜査資料を読者の前に開陳し、犯人は? 事件の真相は? と迫る。そう、実はこの本の主人公は、読者自身なのである。本格探偵小説の中に、アームチェア・ディテクティブと呼ばれるものがあるが、ここで椅子に揺られながら事件を解決へ導く役目を課せられているのは、ミス・マープルでも、隅の老人でもなく、読者自身なのだ。
 イギリスの石鹸会社社長ボライソ・ブレーンが、豪華ヨット、ゴールデン・ガル号内で自殺したという連絡を受け、ケタリング刑事が捜査を開始するところから、事件は幕を開ける。絨毯の上に残された2本の線と、カーテンに付着していた血痕から、ブレーンの死は、自殺を装った殺人であることが判明する。
 ゴールデン・ガル号の船主であり、ブレーンと石鹸の価格競争をやっているロックサベジ。その愛嬢フェリ。船に招待された7人の客たち。──犯人はこの9人の中にいる。9人の登場人物たちは、それぞれにブレーンを殺す動機を持っている。ケタリング刑事の捜査によって、事件は次第にその細部を明確に見せ始める。
 問題は、犯行時刻と考えられる午後7時45分から8時半までの乗船者たちのアリバイだ。ところが、全員に完璧なアリバイがあることが、ケタリング刑事の調べによって立証されてしまう。さて、犯人は誰なのか……。
 思い悩んだケタリングは、フロリダ警察の上司シュワップ警部捕に資料を送り、指示を仰ぐ。要するに、その送り届けられた資料が、この本なのである。シュワッブ警部補は、現場に一歩も足を踏み入れず、関係者の言葉も一切聞かず、ここに集められた資料だけで事件を解決する。つまり、読者とシュワップ警部補は全く同じ条件でこの事件を眺めるわけで、ここからが読者との知恵比べである。
 読んでまず感心したのは、臨場感を盛り上げる凝った資料の演出もさることながら、配置された伏線がフェアであることだった。推理小説では、フェアであることが非常に重要視されるが、これが案外いい加減なものも多い、タネを明かされてみて、これじゃ解きようがない、と思えるものがずいぶんある。その点、この本は、関係者の供述を注意深く読み、子細に証拠品や写真を眺めて行けば、必ず犯人に到達出来るように計算されている(もっとも、完全にフェアだとは言いがたい。いささかアンフェアじゃないかと思われるところも、作者の苦しまぎれの言い訳が二ヵ所、出版社側の印刷の不手際によるものが一ヵ所、あるにはある)。
 シュワップ警部補の推理と解決部は本の最後で袋綴じにされている。焦って破かず、推理をしてみていただきたい。それがこの本を娯しむ最大のポイントなのだから(ちなみに、この袋綴じの中身は5ページ分しかない。袋を破れば、娯しみはアッという間に終わってしまいますよ)。
 この『マイアミ沖殺人事件』の目玉は、やはり「ファイル・ミステリー」というこの形を採ったことにある。筆者などは、こういう試みが本になって出たという、ただそれだけで拍手したくなってしまうのだが、いわゆる普通の小説との違いによる戸惑いや読みにくさ(かなり読みやすく工夫されてはいるが)からくるハンディキャップが、どの程度読者に受け入れられるのか、それも興味あるところだ。
 この本は、もともと1936年にイギリスで出版されたものだそうである。今回の訳は、79年に復刻版として出されたものがテキストになっている。作者のD・ホイートリーは、本書を出したあと、毎年1作ずつ、合計4作の「ファイル・ミステリー」を書いたそうで、そのすべてが復刻されていると聞く。たぶん日本でも残りの3作を続刊として出版する計画があるのだと思うが、今から待ち遠しいような気持がする。質を落とさず第1作を超えるものにしていただきたい。
 筆者は2人で頭を寄せ合ってこの本を読んだ。片方の推理の欠点をもう1人が指摘したりして、とても娯しい数時間を過ごすことが出来た。恋人同士、夫婦で犯人探しに興ずるのも、また一興ではなかろうか。