Junkyard

 

2016/11/28

オール讀物 1984年4月号

岡嶋二人 雑文

馬ならし ── (絵と文)岡嶋二人

 オール讀物には「絵入りずいひつ」というコーナーがありました。(今もあるのかしらん)文章だけではなく、イラストもその本人に描かせてしまおうという意地悪な企画ページでした。僕に絵など描けるわけがないので、イラストは徳山が担当することになりました。もちろん文章のほうは僕の担当です。エッセイではあるけれど、こんな格好の合作があったのですね。

 
 
馬ならし
        (絵と文)岡嶋二人

 あたりまえのことだけど、馬はべつに人を乗せるために生まれてくるわけじゃない。彼らはみんな、自分の生を生きようとして生まれてくる。
 でも、人は馬を思う時、必ずその周囲に人間の姿を置いている。カウボーイだって、インディアンだって、源平合戦の絵巻物を見たって、馬の上には必ず人が乗っている。
 以前、萩本欽一さんが、裸馬を競馬場で走らせる実験をしたテレビを見たことがある。騎手というものが、競馬にとってどんな役割をしているのか、馬だけでレースをさせてみようというのだ。
 結果は、なんとも気の抜けたものになってしまった。レースになんか、ならなかったのである。ある馬は、悠々と自分の走りたいようにトラックを流している。ある馬は、ちょっと行ったところで立ち止まり、おもむろに柵の外の草を食べ始めた。そして、ある馬などは、途中からUターンして、帰って来てしまった。
 レースというのは、人間がむりやり馬にそうさせているだけなのだ。
 むりやり──そう、むりやりだ。
 去年、北海道の牧場へ取材に行った時、ぼくたちは人間と馬の壮絶な闘いを見ることができた。
 馬ならし──そう呼んでいる。競走馬に、人を乗せる訓練のことだ。
 観客の前で駆け競べさせるために作られた馬たちは、生まれて1年後の秋、例外なくこの馬ならしを受ける。
 大きく分けると、馬ならしには3つのステップがある。
 最初のステップは、背中に鞍を載せることである。第2段階は、その鞍の上に人が乗る。そして、第3は人の命ずるままに歩き、走り、止まることができるようにするのだ。
 普通、この馬ならしには、ひと月やふた月の長い時間が必要である。
 そりゃそうだ。いままで、のんびりと遊んでいただけのところへ、変なものを背中へ載せられ、なんと人間まで乗ってくるのである。馬にしてみれば、恐怖以外のなにものでもない。いったい何をされるのか、恐ろしくて仕方がないだろう。
 初めて背中に鞍を載せられた若駒は、背中の上にある得体の知れない異物を振り落とそうと、必死になって暴れまわる。ロデオ競技を思い出していただければいい。あんな感じである。
 牧場の人たちも、厭がる馬をなだめたり脅したりして、ゆっくりと、鞍にならし、背中の人にならしていくのだ。だから、すごく時間がかかる。──ぼくたちは、そう聞いていたのだった。
 ところが、それをたった数日でやってしまうことが可能、と言うのである。ぼくたちが取材をさせてもらった牧場では、馬ならしに新しい方法を取り入れ、早い馬なら1日、遅くとも3、4日で終えてしまうと言う。
 ほんとかいな、と思いながら、見せてもらうことにした。
 2歳馬たち(馬の年齢は、数え歳で言うことになっている。生まれた年が当歳、その翌年は2歳である)が、円形の馬場に曳きだされて来たのは、牧場の朝がひと段落ついた午前9時ごろだった。
 1頭の鹿毛が馬場の中へ入れられる。何かの予感があるのだろう、しきりに鼻を鳴らし、ひづめで土を搔いている。
 と、轡に長いロープがつけられた。彼の後ろで、突然、鞭が鳴る。
 馬は、驚いて走り始めた。ロープの端は、馬場の中央にいる牧夫が摑んでいる。別の牧夫が、鞭を手に彼を追う。
 彼は、必死で駆ける。円い馬場をぐるぐる走り回る。牧夫のほうは1周ごとに交替で彼を追い立てる──。
 馬がそろそろ疲れてきたと見て、牧夫は追うのをやめた。優しく声をかけてやりながら近づいて、牧夫は彼の背中に、そっと鞍を載せる。ベルトを腹に回し、ゆっくりと締める。
 突如、彼は後脚で立ち上がった。懸命に鞍を振り落とそうと暴れる。しかし、ベルトを掛けた鞍は、まるで落ちてくれない。そして、彼の後ろで再び鞭が鳴った。
 若駒は、追われ、へとへとになるまで、馬場を駆けさせられる。──諦めさせるのだ。どうやっても、鞍はお前の背中からは離れない。この鞍は、もう、お前の身体の一部なのだ。お前は、これからずっと、この鞍を背負って駆けるのだ。
 駆け続け、彼は、それを悟る。
 ようやくおとなしくなった若駒に、今度は人が乗る。彼は、再び暴れ始める。鞭が鳴り、人を背中に乗せたまま、彼は駆ける。
 ぼくたちは、何度か馬の背中から人が振り落とされるのを見た。馬も必死なら、人間も必死だった。競走馬と生まれた以上、避けては通れぬ試練である。もし、彼がいつまでも人を乗せることを厭がったとしたら、彼には生きていく資格がなくなってしまう。牧夫が必死なのは、本当に馬が好きだからだ。
 10数分後、牧夫の操るままに駆ける若駒を見ながら、ぼくたちは、言いようのない感動に、ただ溜息をもらすばかりだった。