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2016/11/24

BugNews 1986年5月号

岡嶋二人 対談

ゲームブックの作り方 ── 対談/岡嶋二人十鳥井加南子

 江戸川乱歩賞作家同士が同じ時期にゲームブックを書いたということで、鳥井可南子さんと対談をやりました。8ページというけっこうな長さの対談ですが、ゲームブックに対する考え方も正反対で、これだけ噛み合わない対談も珍しい(笑)。この対談で岡嶋として話しているのは僕一人です。徳山は不参加でした。

 
 
ゲームブックの作り方
コンピューターゲームの遊び方
       対談/岡嶋二人十鳥井加南子


コンピュータ的思考に魅かれた

岡嶋 『悪夢の妖怪村』をお書きになったのは、いつごろだったんですか?
鳥井 去年の夏頃に書き終えてはいたんですが、本が出たのは12月でした。
岡嶋 じゃあ、ぼくたちの『ツァラトゥストラの翼』とほぼ同時期に進行していたんですね。ぼくたちのほうも、編集のひとから話があったのは、夏頃でした。作るという立場になってみると、ぼくたちは鳥井さんとは違って、いわゆるファンタジー系のゲームブックにはさほど興味が湧きませんでした。いろいろとゲームブックを読んでいるうちに、「純粋に推理して解けるようなゲームブックがあればいいな」と思うようになった。だから、編集のひとに「推理ものだったらやります」と返事をしたんです。
鳥井 私の場合、ほんとうにゲームブックが好きで好きで、『悪夢の妖怪村』を作ってしまったという感じです。
岡嶋 以前から、ゲームブックを作りたいと考えていたんですか?
鳥井 ゲームブックが大好きになって、熱中しているうちに、読む側からずるずると作る側にまわってしまったんです。
岡嶋 ゲームブックの愛読者だったわけですね。
鳥井 最初は二見書房から出ていた『恐竜探検』とか『海賊の秘宝』とか、面白くて、ひとりで笑って読んでいました。オーソドックスなジャクソンのゲームに移ったのは、そのあとなんです。当時、ジャクソンのものはまだ『火吹山の魔法使い』と『バルサスの要塞』の二冊ぐらいしか出ていなかったもので、これはもう、ペンギンフックスのオリジナル版を読むしかないと思いました。好きなことのためだったら、面倒な英語だって関係ないんですよ。ある程度、読んだところで作る側にまわっちやったものですから、最近出たものはあまりやっていないんですけれど。
岡嶋 ぼくは推理もののゲームブックを何冊か読んでみたんです。でも、どれも満足いくものではなかった。だいたい推理の要素がゼロに等しい。読み手を無視して主人公が勝手に動いていって、こちらはパラグラフを選んでいくだけなんですから。『ツァラトゥストラの翼』の校了まぎわに『シャーロックホームズ10の怪事件』というのが出てきたときは、「やられた!」と思いましたけれど。
鳥井 ゲームブックに夢中になるといっても、いろいろなケースがあると思うんです。どこに凝るか、ということなんでしょうけれど、きっちりと地図を書くとか、フローチャートを作ってみるとか、正直に何度もチャレンジして読み通すとか、それはひとによって違うはずです。最初は遊びだったんですが、私の場合は、ゲームブックを作ることに凝ってしまいました。
岡嶋 ぼくたちの場合は、そういう純粋な経路を辿っていなくて……(笑)、ただ、以前からコンピュータのロールプレイング・ゲームだとか、アドベンチャー・ゲームだとかいったものには、少なからず興味がありました。どちらかというと、内容よりもスタイルのほうに興味があった。こういうものを作るとき、人間はどういう考え方をするのだろうと、考え方自体に魅かれたわけです。こういうスタイルのものを、自分でひとつ作ってみると、本業の推理小説を書いていくうえでも、何かヒントになるかもしれない、という気がしたんです。ちょうどそのときに、「ゲームブックを出す企画があるんだけれど、何かやらないか」という話が、ぼくたちのところにまわってきた。初めは「ちょっとしんどいなあ」と思っていたんですが、すぐに「こいつは面白いかもしれないぞ」と考えを変えました。どうせやるなら、ちゃんと読み手が自力で推理しないと解けない、当てずっぽうにパラグラフを選ぶだけでは絶対に終われないゲームを作ってやろうと考えたんです。なぜこういうことを思いついたかというと、単純なんですが、コンピュータのアドベンチャー・ゲームの場合、ゲームブックのように飛び先番号がおいてありませんから、自力で解かないと、後の画面には進めませんね。あれをゲームブックのなかでやってやろう、と。
鳥井 ええ。あれは駄目になると、ほんとうに一歩も前に進めなくなってしまいますね。
岡嶋 そういうゲームブックができないものか、ということ。もうひとつ考えたことは、ミステリーを書くとよく「伏線があからさまだ」といわれることがあるでしょう。「だったら、あなた自身が探偵をやってごらんなさい」という態度が、ゲームのなかでなら取れるんではないか、という気持ちもありました。普通ミステリーというのは、何から何まで必要なものは、名探偵が見せてくれるでしよう。それを読み手が自分でやるとしたらどういうことになるか、試してみたかったんです。まあ、そういうふうに仕上がっているかどうかは棚上げにして、今は喋っているんですが……(笑)。

マーロウが舞台からはみだして

鳥井 『悪夢の妖怪村』は、選択肢の段階で推理や工夫を要求するものにはしませんでした。むしろ私は、どんなに勘のいいプレイヤーでも失敗を繰り返さざるをえないものを作りたかったんです。どの番号を選べばいいか推理可能なものだと、面白いパラグラフに行けなくなってしまうことがあるでしょう。ゲームブックでは、ちょっと脱線することによって、とんでもない場所に行ってしまったり、とんでもない状況に陥ったりすることがあって、そのとんでもなさが、私には面白いわけですよ。それが、ゲームブックを読み慣れて、だんだん勘が冴えてくると、とんでもないパラグラフに飛ばなくなってくるので、勘のいいひとほど、つまらない本になってしまうということがありますね。
岡嶋 確かにそれはありますね。自分で作った本ですから、正解は知っています。それで、『ツァラトゥストラの翼』を最短距離を通って読んでみたんです。すると、やっぱり面白くないんですよ。
鳥井 ええ、どうしてもそうなりますね、ゲームブックで頭や労力を使うのは、選択肢の段階よりむしろ、精確な地図を書いたり、同じ失敗を繰り返さない工夫をするとかいった段階にしたほうがいいのではないかと思います。「はずれ」るのもゲームブックの楽しみですから。
岡嶋 ただ、面白い「はずれ」が非常に大切になってくるというのは、ファンタジー的な要素の強いゲームブックの場合なんじゃないかなと、ぼくは思うんですけどね。
鳥井 そうですね。私は、読む遊びとしてのゲームブックに魅かれるんです。これはコンピューターゲームをやっていて気づいたことなんですが、素材が閉鎖的といいますか、イメージが広がらないままワンパターン化しつつありますね。たとえばモンスターは西洋の神話から取るというような。そういうパターンができてしまったあとでは、身動きがとれなくなってしまうと思ったので、私は『悪夢の妖怪村』で、日本の妖怪にたくさん出てきてもらったわけです。もっと、素材の枠は広がっていいと思うんです。慣れてしまうと、みんなそれでなくては駄目というふうになってくるでしょう。そうなってからでは遅いと思ったんです。今度書いたゲームブックの舞台は、ぐっと広がってユーラシアなんです。出てくるモンスターも、バリ島のお化けとか、エスキモーの神様とか、楽しいですよ。
岡嶋 広げるというのも大変な作業でしょう。『ツァラトゥストラの翼』には、全部で460のパラグラフがあるんです。ところが、作っている途中で、蒼くなった。パラグラフが増えすぎちゃった。とにかく読者を最大限まで意識しましたからね。たとえばある殺人現場へ行くとする。あれを見たいというひともいれば、これを見たいというひともいる。そうじゃなくて、ぐるっと現場をひとまわりしたいというひともいるだろうし、天井にはりつきたいというひともいるかもしれない。可能なかぎり、そういう欲求は満たしてあげたいと考えたんです。
鳥井 それは難しいですね。
岡嶋 ゲームブックをよく知らないからこういうことになったんですが……。その調子で書いていると、「第五巻の3番に進め」というような、恐しい事態になりかねない。そこで、枝葉をどんどん切っていきました。枝葉を切るということが、こんなに難しいことだとは思ってもみませんでした。普通の小説だったら、まずストーリーの幹になる部分を作って、ディテイルをどれだけ書くかということになるでしょう。そうではなくて、ゲームブックでは舞台の面積をどこまでひろげるかということを考えないといけない。舞台の柵をいったいどこに設けるのか。たとえば、ゲームブックの世界では、フイリップ・マーロウが舞台をはみだして、向こう側まで行ってしまうことだって可能なんですから。その柵作りからはじめなければいけなかったんだ、ということに途中で気がついたわけです。
鳥井 私はまず地図を作って、それに沿って書き始めました。その場その場で、出会うモンスターと戦うのか、逃げるのか、話をするのか、その結果どうなるのかということを決めていったんです。あくまでも、地図に沿って作っていましたから、ある程皮のところまでディテイルを書いて、どの方向に進むのかということに戻っているかぎり、広くなりすぎるということを心配する必要はありませんでしたね。

ファンタジーか、ミステリーか

岡嶋 ぼくたちは、推理ものを作るつもりでしたから、地図ではなくまず関係図を作ったわけです。幹をだいたい作っておいて、伏線をどうはるか、それをどこに埋めこむかを決めた。それから、さあ自由に……とばかり広げられるだけ広げてしまったから、大騒ぎになったわけですよ。けれども、舞台を広げるということに関していえば、ぼくたちの書いたもので、不満が残った点があります。たとえば、主人公が死んで話が終わったり、事務所をクビになって終わったりしているんです。こういうところは自分で書いていても、こそばゆいなと思っていました。ヒッチコックの作品に「トパーズ」という不思議な映画があります。この作品では、ひとりの人間が主人公になるというのではぜんぜんなくて、主人公がどんどん変わっていくんです。だけど、決してオムニバスになっているのではなくて、ストーリーは、ちゃんと一本通っている。ああいうスタイルをゲームブックに取り入れたら、面白くなると思うんですよ。
鳥井 その場合にも、時間軸は一本しかありませんよね。ゲームブックのユニークなところは、時間軸を何本も作れるという点でしょう。普通、人間は一本の道しか生きられません。だけど、ゲームブックのなかでならば、いろんな道を生きられるわけですよ。たとえば、あるひとは30歳という年齢のときに、主婦になっているかもしれませんし、作家になっているかもしれません。そういういろんな可能性を辿れるのが、ゲームブックのいいところでしょう。でも、推理ものを書く場合は、そんな悠長なことも言っていられないでしょうね。
岡嶋 推理ものの場合、とにかく読者に考えこんでもらわないといけませんからね。だから、ぼくたちは逆にあるパラグラフにくると、確実にストップするという箇所を作ったんです。そこでは読者が自分で推理して、何かを解決してやらないと絶対に先へは進めない。それに、ぼくたちは本に解答を載せないことに決めたんです。
鳥井 そのことについては、私はちょっと迷いました。今度書いたゲームブックでは、駄洒落的なものなんですけれど、謎が入れてあるんです。迷った末に、やはり解答は入れておいたほうがいいという結論に達して、解答を本に書いちゃいました、私は。
岡嶋 それをぼくたちはわざと書かなかった。その難関から先は、飛び先番号が書いてないんです。飛び先を見つけるためには、今まで得てきたものを使って、組み合わせたり、ひねくりまわしたりしないと見つかりません。かりに正解を得たとしても、その飛び先をいくっも作っておくというイジワルをやった。
鳥井 私のほうは、まちがったパラグラフを選んだ場合はほんとうにとんでもないところに行くように作りました。そのあたりが、推理ものとはちがうところ、いかにもとんでもないところなんですが、こちらには、そのとんでもなさを遊んでもらおうという意図もあったわけです。
岡嶋 ぼくたちの本では、選択肢は全部、いかにももっともらしいところに飛ぶようにしてあるんです。いくら考えても自分がいったいどこでまちがえたのか全くわからないように作りました。つまり、あとに戻って「あ、ここがいけなかったんだ」ということが、想像できないように、工夫したんです。
鳥井 その点では、ファンタジーかミステリーかで、全く逆になるんですね。『悪夢の妖怪村』では、もし失敗したら、「あそこがいけなかったんだな」とわかるようにしたんです。というのは、少なくともゲームブック愛読者としての私には、目標達成意欲を刺激されて、やればやるほどわかってくるということがゲームにとって欠かせない楽しさだという考えがあったわけです。わからなければわからないほどいいというようなひとには、かえってもの足りないところがあるかもしれませんが、それは、好みによって両方の道がありえますよね。

ループの中のループの中の……

岡嶋 ぼくたちは、ゲームブックやコンピューターゲームをやっているときに感じたことを全部、『ツァラトゥストラの翼』に集約してみたつもりです。たとえば、コンピューターゲームをやっていると「ここは作者が楽しんだな」と感じることがあるでしょう。それを自分たちでもやってみたわけです。そういうことを企んでいるときというのは、非常に楽しいものなんですね(笑)。
鳥井 『悪夢の妖怪村』が出たばかりのころ、大人のひとから「これ、ちゃんと結末に行けるんですか?」とよく疑われたんです。子供は疑わずにきちんとチェックして、やってくれるんですが……大人はどうも、ね。信じてやれば、ちゃんと結末に辿り着けるんだ、という信頼がゲームブックの命ですからね。
岡嶋 ゲームブックを作っていると、頭のなかがパラグラフ番号でいっぱいになって、どうしようもなくなっちゃうでしょう。だから、プログラムを書いてコンピュータにパラグラフ管理をさせたんです。ストーリーの系列ごとに通し番号をふりながら書いていった原稿を全部コンピュータに読みこませてシャッフルさせました。つまり、最後にコンピュータにパラグラフがバラバラになるように番号を全部書きかえてもらったわけです。
鳥井 私は素材にいちいち自分でメモを作って、手仕事で番号管理をやったんですよ。
岡嶋 お疲れさまでした(笑)。ぼくたちの本では、フローチャートを書いてみるとループになっているところがたくさんあります。場所によっては、ループのなかにループがあり、そのループのなかにループがあり……という、プログラムでいうネスティング操作にあたることをやっているんです。こうなるともう、ぼくみたいにな面倒臭がり屋の手にはおえませんよ。
鳥井 手仕事を、はるかに超えた事態になってしまうわけですね。
岡嶋 それから、ぼくたちは「あなたが剣をもっていれば何番へ、持っていなければ何番へ」という書きかたはどうしてもしたくなかった。
鳥井 どうしてですか?
岡嶋 それを持っていなかった場合、それを読むことで次からは剣を持っていればいい、ということに気がつくから、剣をさがしますよね。それがいやだったんです。ただ、これを避けるためには、読者がどの筋道を通ってきたかがこちらにわからなくちやいけない。でも、さっきも言いましたようにフローチャートがとても複雑ですからね。だから、どこを通ってきたかを判定できる基準をあちこちにばらまいておくという方法を取ったんです。既存のゲームブックでは指輪を持っているか、剣を持っているか、お金はいくらあるかと読者にいちいち尋ねていたのを、ぼくたちはAにチェックしているか、Bにチェックしているか……というふうに置きかえることで解決しました。これは、プログラムでいうフラッグと同じ考えかたです。
鳥井 なるほど。ヒントを隠したということですね。
岡嶋 そうです。フラッグにも持っていないといけないフラッグと持っていてはいけないフラッグがあって、これらの組み合わせによって、どこから拾ってきたフラッグであるかがわかるようにしたんです。このフラッグの管理も当然コンピュータに任せました。
鳥井 そうですか。私のやりかたは、アナログ的な、どちらかというと小説的なものですから、フローチャートに沿ったパズル的な設定を文にしていくというより、ストーリーの展開を楽しむ本を作りたかったんです。
岡嶋 それはよくわかります。ぼくたちは純粋なパズルを作ろうとしたわけです。とにかく、この本はただひとつの答えがあります。それをどうにかして見つけてください、と。それに対して、鳥井さんのお書きになったのは、この本のなかを自由にまわって遊んでください。たとえば遊園地のなかに入っていろんな乗り物に順番に乗っていくというタイプのものでしょう。いみじくも、まったくちがったタイプのゲームブックができたわけですね。

ザナドゥ、ゾーン、キャッスル

鳥井 今は、ゲームブックよりもコンピュータ・ゲームのほうに夢中になっているんです。
岡嶋 コンピュータ・ゲームは、仕事をやっていて「ああ、いやになった」、というときにすごく役に立つでしょう。
鳥井 ほんと、そう思います。
岡嶋 ただし、「ゾーン」というゲームはやめたほうがいい。すごいんですけどね。これは、気分転換をしようと思ってもぜんぜん気分転換になんかなりませんからね。
鳥井 陰気なんですか? 喜びがないんですか?
岡嶋 いや、とにかく乗り物酔いみたいになって、逆に気分が悪くなうてしまうんです。すごくリアルなシューティング・ゲームなんですが、スピードは速いし、敵にぶつかると画面はぐらぐら揺れるし、避けなきやならないし……大変なんです。「ゾーン」をやるときは、気分転換のことなんて考えないで、あれだけをやるつもりで酔い止めの薬かなんかを飲んで、必死に遊ばないと……。
鳥井 そういう気持ちの悪さなんですか。
岡嶋 ようするに、遊園地のジェットコースターや回転するティーカップのような感じなんです。
鳥井 私、ジェットコースターは大好きです。そのゲームは私向きかもしれません。私が今、やっているのは、「ザナドゥ」というゲームです。まる一日かけてやっとファイターの称号までは得たのですが、やればやるほど謎が深まってきます。でも、いい鬱憤ばらしになりますよ。叩きつぶす相手が誰かの姿に見えてきたりして……(笑)。
岡嶋 でも、このごろ次第に気分転換にならないようなゲームが増えてきましたね。
鳥井 あ、そうですね。今の時代って、本気で遊ばないといけないでしょう。週休二日でも、最近は金曜日は土、日と続けて遊ぶためのトレーニングをする日だって……。こんなに面倒臭いゲームブックにしてもコンピューターゲームにしても、やるひとがこんなにたくさんいるというのは、「世のなか変わったなあ」という気がします。この手のものを好きなひとは変なひとというイメージがあったのに、今ではそういう面倒なことをするのが当たり前ですからね。
岡嶋 以前にやったコンピューターゲームで『アマゾン学術探検隊』というのがあったんですが、これが殺人的な地図を書かないといけないものだったんです。ゲームを進めていくと、画面にも地図ができていくんですが、途中で失敗するとそれが全部駄目になってしまうので、どうしても地図をメモに取っておかないといけない。そのうえ地図上の最後のマス目に入っただけでは済まないで、そこからトコトコ基地に戻ったところでようやく横八面、縦二面、三階層の地図が完成するという、恐ろしく面倒なゲームだったんです。ひどいところになると、行くたびに方向が変わってるから、前に取っておいた地図がぜんぜん役に立だないんです。「これはいったいなんだ、おれはいったいなにをやっているんだ」という気分になっちやいました。
鳥井 それはちょっとたまらないですね。そういうのは私も勘弁してもらいたいです。私の夢中になっている「ザナドゥ」というゲームも地図がときどき使えなくなったりするんですよ。ふり返るとさっき通った道がないってことになったりするんです。
岡嶋 考えてみると、ぼくたちは非常に危険な立場にあるわけですね。もの書きというのは、やろうと思えば仕事なんかしないで、気分転換とか理由をつけて、一口中でもゲームをやっていられるわけですからね。
鳥井 実はきのうもちょっと……(笑)。「ザナドゥ」は大変ですよ。殺し続けないといけないんですから。
岡嶋 コンピューターゲームというのは、それが非常に多いですね。なんか『ランボー』みたいに、殺しまくって殺しまくって、生き延びる道は殺し続けること。『キャッスル』というわりとかわいいキャラクターの出てくるゲームがあるんです。かわいいのはいいんだけれど、このゲームだと命よりも鍵のほうが大切になってしまう。でも推理小説を書くときは、ひとを殺すのは好きじゃありません。容易に殺せてしまうんで、いつも最小限の人間しか殺さないようにしているんです。といっても、もうかなりの人間を殺しちゃいましたけどね。ときどき、そういうことを疑問に思うこともあるんです。死体なんかほんとうに必要なのかなあって。
鳥井 でも、死体が出てこないと、なんかつまらないですよ。
岡嶋 ……(笑)!?