Junkyard

 

2016/11/18

オール讀物 1984年9月号

岡嶋二人 雑文

口は災いのもと ── 岡嶋二人

 岡嶋二人の原稿を書くのは僕と決まっていました。小説だけではなくエッセイも、執筆作業は僕の役目でした。内容は明らかに相棒・徳山諄一にしか書けないものであっても、それをまとめたのは僕の仕事でした。相棒はレポート数枚のメモを僕に預け、僕が原稿を書き上げるのを待ちました。
 だから、末期のいくつかを除いて、僕は相棒の視点で、相棒の声色を使って、エッセイを書きました。小説の登場人物の独白を綴るようなものでした。
 その最たるものがこれだったのではないかと思います。

 
 
口は災いのもと
            岡嶋二人

 一番頭にきたのは、話を伝えた時、相棒がニヤニヤ笑っていたことだった。
 二人で小説を書いている。その片割れである。泣いてとめてくれとは言わない。しかし、せめて「お前、自分の身体を考えろ」ぐらい言ってもいいじゃないか。あるいは「冗談だろ」と笑いとばすぐらいの思いやりがあったっていいじゃないか。なのに、相棒は肩をひょいと竦めただけだったのだ。
「ファイティング原田とやるんだ」
 重ねて言うと、相棒はウンウンと頷いた。
「ボクシングをね」
 そうかそうか、というように相棒はニタニタ笑っている。
「原田さんのジムに行ってさ、リングの上で、まあ2ラウンドぐらいできればいいなと思ってるんだけどな」
「ちょうどいいじゃないか。本も出たばっかりだし、グッド・タイミングだね」
 相棒の言う本とは、カドカワノベルズで新しく出した『タイトルマッチ』のことである。ボクシングを舞台にしたサスペンス小説だ。
「いや、冗談半分に言っただけだったんだけどさ、なんか『オール讀物』のほうじゃ本気で考えてたみたいだな」
「けっこうなことだよ。まあ、何発か殴られてみるのもいいんじゃないの。刺激になるよ」
 僕は、相棒の顔を見ながら「コンビ解消」という言葉を思い描いていた。
 昭和37年の春、僕は学芸大学にある笹崎ジムに入門した。20年も前のことだ。ちょうどボクシング・ブームが始まろうという頃のことで、ジムは若い連中でムンムンしていた。僕も含め、ジムに通う全員が目指していたのは、世界チャンピオンだった。
 ただ、笹崎ジムでそれを実現したのは、たった1人だけだった。僕がジムに通い始めて半年ほどの秋、当時19歳のファイティング原田は、タイのボーン・キングピッチをKOで降し、世界フライ級のタイトルを奪ったのである。白井義男以来、日本で2人目。史上最年少の世界チャンピオンの誕生だった。
 僕は、その試合をよく覚えている。キングピッチをコーナーに追いつめた原田は、一気に四十数発のパンチを連打した。機関銃のようなラッシュ戦法である。キングピッチは、まるで泥人形のようにマットに崩れて落ちた。
 原田さんがチャンピオンになった翌日、僕はジムの仲間数人とフジテレビに行った。
「スター千一夜」という番組があって、原田さんがそれに出演することになっていたからである。僕らの役目は、原田さんをスタジオで胴上げすることだった。スタジオの天井に、45度の角度で鏡が吊るされている。それに向かって原田さんを胴上げしろというのである。真上から見下ろしたように撮影したいというのが、局側の希望だったのだ。胴上げを繰り返しながら、次はオレの番だ、と僕はたいそうなことを思っていた。
 だが、その決意はとうとう実現しなかった。翌年、僕はプロテストを受けろとジムの会長に言われた。よし、と張り切った直後、テストを受けようという時になってドクターストップがかかってしまったのである。いささか無理な生活をやっていて、身体の状態が思わしくなかった。医者は、ボクシングをやめなさい、と僕に言った。なにもボクシングだけが人生じゃない、そんなことを医者は繰り返し言っていた。夢が消えた。
 原田さんのその後を、僕がここで繰り返す必要はあるまい。フライ級、そしてバンタム級と2階級制覇を成し遂げ、ファイティング原田は名実ともに世界を代表するチャンピオンになった──。
 その原田さんと、20年経ってこんな再会をすることになるとは考えてもいなかった。編集部が考えた遊び半分の企画とはいっても、仮にもリングの上でグローブをつけて向かい合うのである。
 僕と原田さんは同年の生まれで、年齢的には見合っている。しかし、それ以外は違いすぎる。2階級を制したチャンピオンと、プロになる前にドクターストップを宣告された僕。最近僕がやっている運動らしきものといえば、ボウリングと、たまにそのあたりを走り回るぐらい。あとは、身体に悪いことばかり選んでやっているようなものである。週に何度かの徹夜。一日数十本の煙草に、コーヒーのがぶ飲み。不摂生の見本みたいなもんだ。
「いいですよ。まあ、2ラウンドぐらいのスパーリングだったら」
 言うんじゃなかった。ちょっと考えてみりゃわかることだ。
 シャドウーボタシングとかサンドバッグを打つぐらいのことなら、なんとか格好はつく。だが、グローブをつけての打ち合いとなると、そうはいかない。勝つとか負けるということじゃなくて、問題は、僕自身の体力と気力なのだ。
 スパーリングだって? あれは、めちゃくちゃに疲れるのだ。疲れるなんてもんじゃない。ああ、馬鹿だ。
 相棒は言った。
「やるからには、。勝つつもりなんだろうね」
「もちろん……」と、僕は答えた。
 相棒は、僕の性格を知っているのである。僕は、見栄っぱりなのだ。僕を抜き差しのならないところへ追い込もうという肚だ。いいセコンドを待った。殺してやりたい。
 どうにかして、無様な姿をさらすことだけは避けたかった。原田さんに打たれて倒されるならまだしも、そうなる前に「動けません。降参です」などとは絶対に言いたくない。自分からキャンパスに寝るなんて、あんまりじゃないか。
 考えても、なんの策があるわけじゃなく、とうとうその日がきてしまった。僕は、セコンドを勤めると張り切っている相棒と、編集の菊池さん、そしてカメラマンの人たちに連行されて麻布へ向かった。『トーア・ファイティング・ボクシング・ジム』──原田さんのジムである。
 菊池さんが、心配そうな顔で僕に言った。
「もし、なんでしたら、原田さんのほうは防御だけということで、手を出さないようにしてもらいましょうか?」
「そんなのボクシングとは言えないじゃないですか。相手が打ってこなくちゃ、カウンターも打てませんよ」
 また、余計なことを言ってしまった。隣で相棒が、そうだ、と頷く。
「どんどんやっちゃって下さい。始める前に、原田さんの悪口かなんか言って、怒らせちゃう、というのもいいんじゃないかな。そのほうが、面白いよ」
 この野郎──と、僕は笑い顔を作りながら相棒を睨みつけた。空振りしたふりをして、こいつにパンチを1発お見舞いしてやろうかしらん。
 ジムヘ行くと、数人の若者たちが黙々と汗を流していた。縄跳びや、パンチングボールの音。懐かしい響きだ。リングの端に、色のあせたタオルが1枚掛かっている。そのタオルに点々と染みた血の痕を見て、20年前を思い出した。
 約束の3時になると、原田さんがジムに姿をみせた。現役当時に比べると、いくぶん太ったようである。
「なに、人間の生活に戻れば、これが普通ですよ」
 そう言って、原田さんは笑った。
 その横では、弟さんがニコニコと笑っている。彼はリングネームを『牛若丸原田』といい、日本フライ級のチャンピオンだった。僕がジムヘ通っていた頃はまだ中学生だったが、何度かスパーリングをやった記憶がある。
 編集部で用意してくれた『岡嶋二人』のネーム入りのトランクスをつけ、ボクシング・シューズを履く。原田さんがバンテージをまいてくれた。
 まず軽く準備運動。身体が温まったところで、パンチング・グローブをつけて、僕はサンドバッグに向かう。このへんでボロを出したくはない。手抜きなどすると、いい音が響かない。最初から飛ばした。ところが、これがいけなかった。
 サンドバッグは2ラウンド(1ラウンドは3分)やったのだが、1ラウンドの終わりで早くも肩が重くなってきた。スピードもガクッと落ちてくる。 
 次にバンチングミットを、これも2ラウンド。もう、呼吸なんかめちゃくちゃだ。シャツが汗で重くなっている。
 さて、いよいよスパーリング。使用したグローブは14オンス──400グラムのものである。試合で使われる8オンスのものと比べると、重くてパンチのスピードもない。もちろん、それでも打たれりゃ痛い。ダウンすることだってある。
 僕は、もうすっかり疲れ果てていた。どうにでもなれという心境だった。
 とにかく後ろに退くことだけはすまい、と僕は思った。カメラを意識してのことである。逃げてる写真なんて撮られたくない。そして、目だけは負けまいと原田さんを睨みつけた。気力は、まず目に現れる。
 ところが原田さんの目を見て、僕は、あれ、と思った。とても穏やかな目をしていたのである。形は一応構えている。でも、凄味がない。受け身なのだ。一応、申し訳程度にジャブは出してくる。しかし、本気で打ってはくれない。
 ああそうか、と僕は納得した。この勝負(と言えるのかどうかは、わからないが)、明らかに僕のほうが有利なのだ。もし、何か事故でもあって、責められるようなことになったとすれば、それは元世界チャンピオンの原田さんのほうだろう。それに、だいたい、原田さんが僕に対して本気を出したりしたら、結果はハナから見えている。
 だが、そう感じた時、僕のほうに欲が出た。馬鹿な欲である。どうしたら、原田さんに本気を出させることができるだろうか、と考えたのである。僕にしてみれば、せっかくのチャンスだ。写真撮影のためのボクシングなんかでは終わらせたくはなかった。
 で、僕がやったのは、玉砕作戦だった。防戦一方の原田さんに、僕は遠慮会釈なく、パンチを出した。もちろん、その大半は、僕の疲れを増やすだけの効果しかなく、原田さんのブロックやウィービングでかわされてしまう。ところがラッキーにも、右フックが原田さんの顔に当たった。
 あとで相棒に聞くと、その時、原田さんは実に厭な表情をしたそうだ。
「なんだ、ほんとにやるつもりなのかよ」
 そんな表情だったという。
 そこで、スパーリングは一時中断した。原田さんが僕にヘッドギヤをつけろと言ったのだ。
 実に馬鹿な話だが、その時僕は、やった、と思った。ヘッドギヤをつけろということは、オレも打つぞ、という意思表示にほかならない。しかも、原田さんは自分もヘッドギヤをつけた。とたんに、本物めいてきた。
 さて、やりなおしである。
 だが、原田さんがヘッドギヤを持ち出したのは、僕の思惑とは少々ずれていたらしい。たしかに、さきほどよりは手数も増えた。パンチも鋭くなってき。ている。しかし、あくまでもそれは僕を牽制するためのものだったらしい。まだ、本気ではなかったのだ。
 1ラウンドが終わった。傍目には、5対5のイーブンという採点だろうか。僕にとっては屈辱のイーブンである。僕は倒すつもりで打って行った。ところが原田さんにその気はなかったのだ。
 2ラウンド。僕は、突進した。かわされようが、ブロックされようが、かまわず打ちまくる。体力は限界に達していた。でも、このラウンドだけだ。そう言いきかせた。
 すると、原田さんの動きが少し変わった。ジャブが速射砲のように飛んでくる。僕は左で払おうとするのだが、どうもワンテンポ遅れてしまう。
 ええい、と僕は原田さんの内懐へ飛び込んだ。攻撃は最大の防御なりという。ボディ攻撃を試みる。1発目は当たった。だが、2発目からは完全にブロックされてしまう。
 で、攻撃を上に切り換え、ジャブに合わせて右をクロスさせようなどと大それたことを考えた。そんなのがうまくいくわけはない。途端に、原田さんの左フックが飛んできた。そのパンチの衝撃で僕のヘッドギヤが半回転してしまった。右目が見えなくなり、慌ててヘッドギヤを直す。
 もう1度、接近戦に持ち込もうともぐりこんだところへ、左のボディブロウをドカンドカンと2発喰らった。顔面に喰らうパンチはさほど痛くないが、腹はこたえる。おまけにダブルで頂戴して、それで僕の足は完全に止まってしまった。
 それからの時間が長かったこと。あとで聞くと、3分のところを15秒ほどおまけして2分45秒だったのだという。僕には、その何倍にも感じられた。
 完敗だった。当然の結果だが、そういうことになる。
 でも、ほんのちょっとだけ負け惜むみを言いたい。少なくとも、僕は原田さんにパンチを打たせた。元世界チャンピオンからパンチをもらったのだ。これは、勲章と考えたっていいのじゃなかろうか。
 そして我ながら、よくも2ラウンドもったと思う。自分の体力にも、ほんのちょっぴり自信を取り戻した。
 シャワーを使わせてもらって戻ると、コーラが用意されていた。格別にうまいコーラだった。原田さんは、しきりに、普通の者じゃまず1ラウンドともたない、と言ってくれた。ボディを打ってくるなんて度胸があるよ、と僕を持ち上げてくれる。僕は、恐縮してしまった。
 別れ際、今度は仕事でなくいらっしゃい、と原田さんは僕の手を握った。凄い握力だった。
 その翌日、シャツを着ようとして、びっくりした。腕が上がらないのだ。手首も肩も、首も背中も、ガチガチに固まってしまっていた。全治3日の後遺症だった。やる、なんて言うんじゃなかった。そうは思ったけれど、同時に、また馬鹿なことを考えている。
 もう1度チャンスがあれば……。