Junkyard

 

2016/11/14

ミステリマガジン 1984年4月号掲載

岡嶋二人 雑文

連想ゲーム ── 岡嶋二人

 もともとエッセイは苦手です。嘘っぱちを並べる小説と違って、真実を書かなきゃいけないんじゃないかという強迫観念に襲われてしまうのです。だから、まずは「いや、エッセイだってみんな嘘を書いている。嘘でもいいんだ」と自分に言い聞かせるところから始めなくてはなりません。そのあまり、とんでもない嘘っぱちなエッセイを書いてしまうことにもなります。この「連想ゲーム」は、その典型でした。

 
 
連想ゲーム
          岡嶋二人


 二人で組になってやるゲームがいろいろあります。二人三脚とか、二人羽織とか──まあ、だいたいにおいて一人でやれば上手にできるものを、わざわざ二人でやって、不器用にどれだけこなせるか、その不器用さを笑うゲームのようです。
 ぼくらは、それを推理小説を書くことでやっています。
 ただ、二人三脚や二人羽織と違うのは、一人でやったら、もっと下手になるということでしょう。両方とも、一人ではほとんど何もできません。半人前がこ人で、ようやく一人といった感じなのです。
 時々、どうやって書くんだ、と人に訊かれます。ぼくらが質問を受けたうちの、大半がこれでした。珍しいものらしいんですね、これが。
 どんなふうに、というと──例えば、ぼくらはよく、連想ゲームというのをやります。NHKでやっているのと違って、どちらかと言えば、大喜利でやるリレー落語みたいなものです。一人の噺家があるところまでやると、
 「で、どうなりました?」
 てな具合に隣へ渡していく、あれです。
 やり方としては、いたって簡単なのですが、まず、紙を一枚用意して、ジャンケンで勝ったほうが、最初の一行か二行を書きます。べつに面白くても、つまらなくてもかまいません。とにかく、何か書くのです。それを相手に渡して、続きを書かせるわけです。そんなことを、一枚の紙が一杯に埋まるまで続けます。
 ルールとしては、なるべく、相手を困らせるような書き方をするということ。意表をついて、
「え、なんだ? こうなっちまうの?」
 と言わせるようにやるわけです。それでいて、ちゃんとお話になっていなくてはなりません。後へいけばいくほど、苦しくなってきます。
 そうすると、最後に、支離滅裂なとんでもない話が一つ、紙の上に現れることになります。
 こういう、ばかばかしいゲームを、アイデアに詰まるとやることにしています。
 これをやっても、べつに推理小説ができるわけではありません。ちょっとした気分転換を兼ねた頭の体操になるだけです。
 しかし、この連想ゲームをやっていて、思わぬ収穫があることも、まれにあります。できあがった支離滅裂なお話を読み返してみたら、そこに、
「あ……」
 というようなヒントをみつけることが、二十回に一回ぐらい起こってくるのです。
 一人で考えていたのでは、到底思いつかなかったような、奇妙な、しかし面白いアイデアを発見することがあります。
 ぼくらの本当の仕事は、ここから始まります。
 もちろん、こんなことばかりやってアイデアを出しているにわけではありません。町で拾ってきたり、人から話を聞いたり……それは、ほかの方だちと同じでしょう。
 二人で書くというのは、面倒なもので、こういうウォーミング・アップがいろいろ必要なのです。頭の体操をやって、さあ小説を書くよ、という雰囲気づくりをして、どちらかがノラなければ、ノッテくるまで雑談なんかしたり……まあ、やっぱり、二人羽織のクチですね。
 まるで、遊びじゃないか──ええ、まったくその通りです。もともと、ぼくらは遊び友達でしたし、その気分はいまだに抜けません。
 ところがおかしなもので、小説を書くようになってからは、それ以外の遊びは、二人でやらなくなりました。
 で、この頃になって、気づいたのです。 ぼくらは、まるっきり興味も趣味も違うということに、です。
 片方は、身体を動かすことが好きで、暇さえあれば外へ出て行って、やれボーリングだ、やれ野球だと走り回っています。片方は、動くのが嫌で、ウチの中でベタッと寝転がって、レコードを聴いたり、コンピューターをいじくったりしているのです。
 どうせ仕事をする時には、いやでも顔を合わせなくてはならないのですから、そうでない時まで同じことをやっているなんてのは、ちょっと耐えられませんよ、これは。
 ふと、考えることがあるんですが、エラリー・クイーンなんかも、連想ゲームやったりしたのかなあ……。
 どうも、そういうイメージは浮かばない。格の違いなのかな、こいつは。