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2016/11/11

井上夢人 雑文

人を生かす話を書いたらどうかな ── 井上夢人

 掲載誌のスクラップがどこかにある筈だと思うのですが、見当たりません。これは、朝日新聞1999年10月19日夕刊に「一語一会」の中の一篇として掲載されたエッセイです。後に、朝日新聞社編・亜紀書房刊『一語一会 人生に効く言葉』の中に収められました。

 
 
人を生かす話を書いたらどうかな
                              井上夢人


 親父とは、まともなつきあいができなかった。キリスト教の牧師の息子として育てられながら、僕は洗礼も受けず、中学に上がった時分からは礼拝に出ることすらしなくなった。
 牧師の職業を継がせたいと考え、折りあるごとに神学校への進学をほのめかしていた親父を無視して、僕は映画製作を学ぶ学校へ勝手に願書を出した。むろん、牧師になろうなどと考えたことは一度もなかった。
 親父と話をするとき敬語を使う僕を見て、友人はそれを他人行儀な親子だと評したが、そういう話し方以外、僕にはできなかった。
 勝手に入った学校を、勝手に中途退学し、そのまま家を出た。電話もせず、葉書も書かなかった。久しぶりに家を訪ね、結婚の報告をしたときは、妻のお腹にはすでに子供がいた。
 僕の選んだ職業を、だから親父が認めるはずもない。そもそもミステリー作家などというものは、親父にとって好ましくない職業だっただろうし、僕の書く小説を親父は最期まで苦々しく思っていたに違いない。僕自身も、親父に認められようとは決して思わなかった。
 その親父が、ただ一度だけ、僕の小説について意見をしたことがある。
「人を殺す話でなく、人を生かす話を書いたらどうかな」
 孫の顔を見せるためだけの用件で家を訪ね、気まずく空白の多い食事を摂っている最中に、ポツリと言った言葉だった。その言葉に、僕はなんの返答もしなかった。
 なにより僕を驚かせたのは、その言葉ではなく、親父が僕の小説を読んでいたということだった。読んでいるはずがないと、僕は勝手に決めていた。
 ふとした拍子に死んだ親父のことを思い出すとき、よみがえってくるのがこのときの言葉だ。
「人を生かす話を書いたらどうかな」