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2016/11/11

日本推理作家協会会報 昭和58年1月号

岡嶋二人 雑文

ふたりで小説を ── 岡嶋二人

 江戸川乱歩賞を受賞すると、自動的に日本推理作家協会の会員になります。参加したばかりの新人は、どうやら挨拶代わりに協会報に短文を書くことが決められていたようで、岡嶋二人にも原稿をという依頼が来ました。そのころは珍しかったワープロ(パソコンではありません。ワープロ専用機です)を手に入れた僕は、その依頼原稿を生まれて初めてのワープロで書いてみることにしたのでした。
 読み返してみると、すでに嘘っぱちばかり書いてますね(笑)。

 
 
 ふたりで小説を
       岡嶋二人

 もし、ぼくらが最初から小説を書こうとしてコンビを組んだのだとしたら、うまくいっていたかどうか自信がない。変なふうに聞こえるかも知れないが、小説を書こうということで話を始めたら、そのことに囚われてしまって、話が小説以外には行き難いと思うからである。
 ぼくらは会うと、話ばかりしている。話の内容は主に雑談で、前の晩に観たドッキリカメラがどうの、どこどこの店のスパゲティはけっこう食えるの、およそ下らないことばかりである。正真正銘の雑談で、それを、創作活動だ、などと正当化する勇気も無いが、でも、自分たちですら気付かないうちに、いつの間にか、それが或る話の一場面を作り上げることに移行していた、なんてことが結構ある。
 逆に言うと、どこかの会社の方針会議みたいな雰囲気じゃ、とてもミステリーなど出来やしない。ところが、最初から「小説を書こう」と意気込んで始めたのだとすると、そこになんとなく使命感のようなものが蔽い被さってきて、雑談なんかしてたら申し訳ないような気持になってしまうんじゃなかろうか……。
 ぼくらは、今でこそ「小説を書く二人組」だけれど、始めからそうだった訳ではなかった。ぼくらの場合、「ふたりで」が先で、「小説を」は後だったのだ。
 その頃、ぼくらは自分たちで作った会社を潰したばかりだった。金儲けをしようと考えて、PR映画の製作を請け負う小さなプロダクションのようなものをデッチ上げたのだが、儲けるどころの話ではなかった。仕事なんかまるで来やしない。一年半でどうにもならない状態になって、結局、夢もしぼんでしまった。
 そんな苦い思いをしたにもかかわらず、ぼくらは二人で何かをやりたかった。内容などは二の次で、とにかく急場が凌げるならなんでも良かったのだ。自分らの存在を正当化するためには、なにかやっているような格好だけでも周りに見せておかなければならなかった。
 推理小説を書こうと考えたのも、要するに江戸川乱歩賞の「印税全額」ってのに惹かれたからで、動機としては不純も甚だしい。マニアだった訳でもなく、小説家が夢だった訳でもなかった。とにかく面白そうで、うまくすれば金になるかも知れないという、ただそれだけの理由だった。
 不思議に思われるかも知れないが、その時のぼくらには、二人で書くということになんの疑問も抵抗も起こらなかった。それは、もしかすると、映画を作る仕事をやっていた関係で、何人もの人間が寄り集まって何かを作り上げるのは当たり前という、そんな気持があったのかも知れない。むしろ、ひとりでする創作活動のほうにこそ、恐れはあった。
 そんな具合だから、エラリー・クイーンの名前を知っている程度で、他にどんな共作作家がいるのかなんてことも、考えてさえみなかった。ボワロー=ナルスジャックやヴァールー=シューヴァル夫妻の存在は、だいぶ後になってから知った。エラリー・クイーンがいるのだから、二人で推理小説を書いているのは他にも結構いるんだろう、ぐらいに考えていたのだ。
 だから二人とも、共作の方法どころか、小説の書き方すらまるで知りはしなかった。今になってみると、知らない同志だったのが良かったのだと思う。どちらか一方でも、なまじ知っていたとしたら、果たしてうまくやれたかどうか……疑問である。
 この頃になって、ようやく二人で書くのにも慣れてきた。お互いの性格や得手不得手も摑めてきた。そうなるのに、六年以上も掛かった。むろんこれは、付き合い方に慣れたというだけで、自分たちにとってどんなテーマや題材が合っているのかなんてことは、まだまるでわからない。
 二人で書くことによるメリットは、なんと言っても頼る相手がいるということだろう。ぼくらは両方共、自信家というには程遠い。仕事を始める前には必ずウォーミソグ・アップと称する儀式があって、互いに檄の飛ばし合いをやる。手前味噌、自画自讃、自軍応援歌……そんなのが二、三十分あるいは一時間以上も続いて、ようやく、では昨日はどこまでやったっけ、となる。そうでもしないことには、二人共、不安で仕方がないのだ。小説を書くなんて、恐くてしょうがない。「赤信号、みんなで渡れば……」ってのがあったが、ぼくらの場合は「ミステリー、二人で言くなら……」というところだ。
 対してデメリットは、すべてにおいて判断が遅いということだろう。
 例えば、主人公の名前を決めるとする。
「いつ子ってのは、どう?」
「あ、それは駄日。同級生にいたから。それより、もと子は?」
「やめてくれ、近所にいるんだ。顔が浮かんできてしまう」
 という具合で、ちっとも先へ進めない。万事がそうなのである。二人なら、人の倍は書けるかというと、決してそうではない。倍以上の時間が掛かるだけなのだ。
 このデメリットは、もう諦めることにした。居直るしかないと、悟った。
 お読み戴いたこの文章も、二人で書いたものである。二人でやって、ようやく一人分の仕事を、冷や汗かきかき、終えました。